大晦日の日にお客様から電話が入りました。お母様が亡くなられたようです。電話口のお客様は、10年前にお父様の葬儀をご依頼いただいた方でした。
寝台車を病院に急行させ、打ち合わせは翌々日にすることになりました。1日から3日までは火葬場もお休みなので、斎場も霊安室も一杯でした。
打ち合わせの場所は、お母様のご自宅です。なつかしい。客室に案内されました。お客様は開口一番「サラウンド型の祭壇にしてもらいたい」と切り出されました。
家族葬ネットのホームページを読まれていて、サラウンド家族葬に興味を持たれたようです。前回のときもそうでしたが、参列者は近しい人たちだけの家族葬になりますから、サラウンド家族葬にはピッタリです。
実は、前回のお父様の葬儀のあとに四十九日法要を終えた後、お客様にお食事というか酒席に誘われ、遠慮もなく飲み明かし、最後はカラオケでダウンし失態を演じたことを覚えています。そのときは、仏教や宗教のことで意見交換したことを思い出します。お客様は、某国立大学の教授で、分野は違うのですが、歴史や哲学にも造詣が深く、りっぱな方でした。
そんなお客様ですから、故人を囲んで冥福を祈るサラウンド家族葬の主旨を充分にご理解して下さったようです。
儀式は、前回と同様に菩提寺からお坊さんをお呼びして、仏式の家族葬になります。問題は、そのお坊さんにサラウンド家族葬を了承してもらえるかどうかです。
サラウンド家族葬は、今までの仏式葬儀とはちがい、故人(柩)を囲んでの進行になりますので、遺族と対面しながら、儀式を進行します。遺族に背をむけて進行していた、通常の仏式葬儀とはちがいます。
下の図は、サラウンド家族葬でのお坊さんと故人(柩)とご遺族の配置を分かりやすくしたイラストです。
多くのお坊さんは、このような配置の葬儀を経験したことはありません。このため、前もってお客様の菩提寺のご住職にサラウンド家族葬の説明に伺うことになりました。
もちろん住職とは初対面ではありません。前回のお父様の葬儀でお会いしています。そのときは、仏教改革で議論が弾み、通夜の開式が遅れたことを覚えています。
今回も住職は「いまの葬儀をどう思う」と話題をふってきました。「最近は直葬が増えまして‥‥」と言おうとすると「いや、それはわかってる。どうして、葬儀をしなくなるのか」と畳み掛けてきます。「それは‥‥」と窮する僕に「要するに坊さんが悪いんだよ」とご住職。ご承知でしたか。
そんなやり取りをした後で、サラウンド家族葬について説明する。すると住職が「ご遺族の評判はどうじゃ?」と聞き返す。「お坊さんの表情や仕草を見ながらの儀式ですから、よくいわれるのは、臨場感と緊張感、それに充実感ですね」と答えると、「要するに坊さんの腕次第だな」と住職。さすがに察しがいい。そうです、腕の見せ所なんです。
いよいよ通夜です。しかし、本来は喪主様のご意向で通夜をしない予定でした。住職は「そういう考えはわかったが、お母様は熱心な信者だったので私としては申し訳ない。わたし独りでお経を上げさせてもらいます」となり、結局、通夜が行われることになりました。
通夜のまえに祭壇を見ていただきました。「う〜ん、ご本尊に尻をむけてお経を読むことになるな。チョットまずいかな」とご住職。勘のいいご住職です。そう悩まれることは承知しておりました。
上記のイラストは、従来の仏式葬儀の配置図です。全員が、ご本尊に向かっています。成仏をご本尊にお願いする儀式なんですね。ですから、住職が悩まれるのは当然なんです。
しかし、サラウンド家族葬は、住職の腕の見せ所なんです。ご本尊に尻を向けるのではなく、ご本尊を背負って、ご本尊の名にかけて、亡者を成仏させてほしいのです。その気迫が求められているのです。
と直言するのも大人げないので「キリスト教では、神父はイエスの像や十字架を背にしてミサをあげます。違和感はないでしょう。ご遺族にとっては、日ごろご本尊との関係は希薄ですから、葬儀をとおして、ご住職が仲介者となって、ご遺族とご本尊を引き合わせ、ご本尊の教えを伝える立場になると考えられてはどうでしょうか」と説明しました。
「う〜、うまいこというね」とご住職。無事、通夜が始まりました。
通夜では、住職が渋くて大きな声でお経を上げられていた。ご遺族や会葬者の方々は、住職に深々と礼拝して、故人の顔を見ながら、お焼香をする。心のこもった焼香でした。
ただし今回は、ご遺族や会葬者に、お焼香の手順や段取りを説明する時間がなかった。というのは、故人の昔からの親友が弔問に来られたのですが、その方がいらっしゃることを喪主様は予定されていなかったのです。もともと通夜はしないはずでしたから、この日は住職のお経が終わったら、そこで解散する予定でした。
つまり、通夜料理などは考えていなかったのです。通夜開式のまえにお母様のご友人から、いろいろと生前の思い出話を聞かされた喪主様は、急遽「何か料理を用意してもらえませんか」と私どもに要望されたのです。
スタッフは、すぐに車で買い出し。そんなこんなで、お焼香の手順や段取りを説明する時間がなかったのです。
ところが、ご遺族は式に集中され、何の違和感もなく、自然に丁寧なお焼香をされたのです。ご住職と故人とご遺族が、向きあうことで自然にコミュニケーションをとることができていたのです。
式が終わって、引き上げる住職が「今日の説法どうだった?」と聞かれ、「良かったですよ」と答えると、「いや〜、このやり方は、緊張するな。プレッシャーがすごいね」とご住職。
正直なご住職です。サラウンド家族葬では、ご遺族や会葬者のみなさんは、住職がどんな仕草で、どのような気合いで式を進めるのか、一挙手一投足に目を凝らしているのです。残念ながら、私たちはお経の中身は知る由もありません。住職の作法と説法、それに住職の人間性に仏教を見いだすしかないのです。プレッシャーを感じられることでしょう。腕の見せ所なのです。
翌日の告別式では、喪主様が家族・親戚にお母様のことなどを話したいというご希望がありましたので、相談の上、開式の20分前にお集まりいただきました。
お母様の柩を囲んで、喪主様がお話されました。お母様のことというよりも、お母様から受けた愛情に対する感謝の言葉が中心でした。最後に、亡くなられる一週間まえに孫や曾孫がそろい、病室で横たわるお母様のお見舞いをしたそうですが、たいそう喜ばれたようで、何よりの親孝行ができたと涙ぐまれていました。
葬儀が終わって、このサラウンド家族葬の感想を喪主様に伺うと、「みんなで車座になって、母を送ることができました。温かい葬儀で感謝しています」と返ってきました。いい言葉がみつからず、横文字のサラウンドと名付けましたが、「車座」の方が的を射ているようです。
お母様のご冥福をお祈りします。
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