家族葬の風「柩のない家族葬」

◆ 息子さんが、事務所に訪ねてこられた。ご自宅でお父さまが療養中で、もう危ないという。

◆    Q: いろいろ調べたけど、こんな要望を聞いてくださるのは家族葬ネットさんしかいないと思いました。
        ・    通夜、葬儀は、自宅で行いたい。
        ・    父は棺にいれないで、布団に寝かしたままで葬儀をおこなって欲しい。そして、その回りを花で飾って欲しいという。
        A:    分かりました。可能な限り、要望には応えます。

◆ 数日後、早朝に息子さんから電話があった。「父が今、亡くなりました。よろしくお願いします・・」と涙声がゆれる。
 お父様は布団に寝かされていた。
        Q:「深夜に様態がおかしくなり、先生をお呼びしたんです。その時はなんとか持ち直したんです。それでホッとして、明け方につい一時間ほど居眠りをしたんです。目がさめたら、父が呼吸をしていないんです。父が亡くなっていたんです・・・。僕がぼんやり居眠りをしているあいだに、父の最後を看取ることができなかったんです。悔しくて悔しくて、手を握って、最期を看取ってあげたかったのに。本当に悔しくて。父には申し訳ないことをしました」と涙ぐむ息子さん。側にいた息子さんの奥さまの目にも大きな涙粒。
        A:「でも、穏やかな顔をされているじゃありませんか。きっと息子さんの側で安心して眠るように息をひきとったんじゃないですか」
また泣き出す息子さんとお嫁さん。

◆湯灌/お風呂が大好きだったのに最期は入れてあげることができなかったので湯灌を希望された。
 シャンプーをして鬚をそり、身体を清めて旅支度に着せ替えた。「本当に丁寧に湯灌をしていただきまして、ありがとうございます」と湯灌のスタッフに心付けを渡す喪主の息子さん。

◆    明後日の土曜日に通夜、日曜日に葬儀をすることに決めて、ご自宅を後にする。

◆ 翌早朝に喪主の息子さんから電話が入る。
        Q: こんなに早い時間にお電話をしてすみません。実は、わがままな変更で申し訳ないんですが、昨日父の側で一緒に寝ていて気づいたんです。父は、大相撲が大好きで、いつも楽しみにしていたんです。日曜日が千秋楽であることをすっかり忘れていまして、千秋楽が終わるまではこのままにしておいてあげたいんですが、無理でしょうか。
        A: すると、月曜日に通夜、火曜日に葬儀ということでしょうか。
        Q: そうです。何とかならないでしょうか。
        A: わかりました。関係者に連絡をとって、ご希望に添えるようにしましょう。

◆ 火葬場、霊柩車、お寺さん、花屋さんに早々に連絡し、了解を得る。折り返し、喪主様に連絡をする。
        A: 大丈夫です。予定を変更しました。
        Q: ありがとうございます。大変申しわけございませんでした。
        A: 何も気にされることはありませんよ。なんでも思ったことは言ってください。思い残すことのないようにしましょう。

◆ 通夜の設営にうかがうと、予定を変更したことを謝る喪主様。
        Q: おかげさまで、土曜日には隅田川の花火大会を父に見せることができました。千秋楽もファンだった横綱が優勝したので、父も喜んでいると思います。
        A: なんだか、こんな表現は不謹慎ですが、お父様に取っては盆と正月がいっしょに来たようですね。これも喪主様のおかげでしょう
    また涙ぐむ喪主さん。
        B: いえ、みなさんのおかげですよ。この人ずっとお父さんの側で寝ていたんですよ。とお嫁さん。

◆通夜/ 故人は、棺の中ではなく、布団に寝かされ、その回りに色とりどりの綺麗な花が飾られた。ご本尊が故人を見据え、足下の横に遺影がかざられた。仰々しい祭壇はない。そこにあるのは故人だけだ。
 通夜のお経の後にお坊さんが、
    「葬儀には長く関わっていますが、布団に入って花に囲まれた故人を前に葬儀をしたのは初めてです。しかし、お釈迦様が亡くなられたときには、沙羅双樹の花が急に咲き誇り、その花がお釈迦様の身体に降り注いだと経典には書かれています。奇しくも、故人の生まれが4月8日、お釈迦様と同じ生まれの月日です。今日は、お釈迦様が入滅された当時の様子と良く似ていると、先ほどから思いめぐらしていました。いい経験を故人のお陰でさせていただきました」と語られた。

◆ 今では想像できないが、幼い頃から息子さんとお父さまの意思疎通は薄かったそうだ。幼い頃の記憶は、お父さまの意に沿わないことをすれば、すぐに投げ飛ばされたことだったようだ。大人になっても、口数少ない息子さんだったようだ。
 それが、お嫁さんといっしょになって、そのお嫁さんが少しずつ息子さんとお父さんの間に入って、両者の溝を埋めていき、ようやく互いの意思疎通が叶うようになった。そんな時にお父さんが癌に冒されていることを知る。闘病生活が始まる。人生とは上手くいかないものだ。

◆ 強かった父親が、日に日に弱まっていく。そのやるせなさと寂しさが、深い悲しみへと変わる。息子さんが、お父さまにしてあげたかったこと、それは、いつまでも側にいっしょにいてあげることだった。
 きっと臨終のときに手を握しめて「おとうさん、ありがとう」と言ってあげたかったに違いない。

◆ 通夜式が終わった頃、お嫁さんが「ねえ、虹よ、虹が出ているわよ」と窓の外を指す。
  喪主さんが「本当だ。綺麗だね」「お父さん、虹だよ」と振り返る。
 窓の外には虹、加えて美しい夕焼けが広大なコンクリートの街並みを自然の絵画にする。
 その幻想的な美しさに一同が言葉を失う。この部屋は11階にある。窓の外をさえぎる建物はない。美しい虹がこの世とあの世の架け橋に思えたのは、私だけではなかっただろう。

◆ 狭い棺のなかに閉じこめないで、できる限り布団の上でゆっくりと寝させてあげたい。そして、許される限り、同じ部屋でいつまでも過ごしたい。
 おそらく、この数日間に多くのことをお父さまに語りかけたに違いない。悔恨や感謝の気持ちなど色々な想いを伝えたに違いない。
 息子さんが、こうまで故人に優しくしてあげられるのは、息子さんにとって父の存在がいかに大切なものであったかを物語っている。
 息子さんにとっての葬送は、他人の目や社会的な風習に捉われることなく、自分のできる全てのことをお父さまにしてあげたいという一心だった。
 この一心に、大切な人を送る、葬送の本来のあり方を見た。

◆ 葬儀・告別式のお経が終わり、ご遺体を棺の中へと移した。最期に布団の回りにあしらわれた花々を柩の中へ、遺族のみなさんに飾ってもらった。
 ご遺族も故人も思い残すことがないような穏やかな表情をされていた。

◆ スタッフが言った「喪主さんから、自分は葬儀や世間のことが良くわからないので、落ち度があったら注意してくださいと言われましたが、近所の方への挨拶や霊柩車の運転手さんへの対応、火葬場での職員への心遣いなど完璧でしたね」と。
 喪主さんの優しい心にこちらが感動した。


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