家族葬の風「無宗教葬の司会依頼」

◆ 私も初めての体験だが、担当の葬儀社にとっても初めての経験だろう。
 娘さんから電話があった。
Q:    葬儀の日程も、斎場も、葬儀社も決まっているんですが、葬儀の中味をそちらで担当してもらえないでしょうか。お母さんの遺志で葬儀は無宗教で行いたいのですが、私たちのイメージしている無宗教の葬儀と葬儀社の考えが合わないんです。そちらのネットを見て、ここの葬儀社なら私たちの考えを理解してくれると思ったんです。

◆ 普通なら、そうであれば、葬儀全体をこちらに任せてもらうことになるのだが、担当の葬儀社は見積もりも終わって、日程も斎場も祭壇も決まっているので変更できないと言われたそうだ。
 娘さんのあまりの熱意に押されて、
A:    担当の葬儀社さんの承諾があれば、出来るだけのお手伝いはしますが、大丈夫でしょうか?と応える。
 「あまりの熱意」とは、弊社の受付専用の電話の受話器が外れていて、2~3時間話し中のままだったようで、その間ずっと電話をされていたそうだ。全然つながらないので、娘さんが弊社の事務用の電話番号を調べ上げて、掛けてこられた。
 こちらとしては、なんたる失態。普通ならこんな会社はだめだと見切りをつけるところだろう。でも、そこまでして頼ってきてくれるお客さんの要望を断るわけにはいかない。

◆ しかし、自宅にお伺いするまでは、本当にお受けするかどうか、悩んでいた。
 葬儀の中味だけをこちらがするということは、例えば、ある寿司屋で、お客さんが、そこの寿司が気に入らないから、他のお店の調理人をそのお店に呼んで、厨房と調理道具とネタを借りて、寿司を握らせるようなものだ。しかもそのお店の調理人の目の前で。
 そのお店の調理人の立場に立てば、職人としては面白いはずはない。逆にお客さんに呼ばれた職人もそんな冷たい視線の中で心地よく握れるものではないだろう。

◆ 何時間も電話をし続けてくれた娘さんにほだされて、その想いをうかがった。急死したお母さんは芸術家だった。国際的な評価も高い素晴らしい作品を世に残されていた。元々はフラワーデザイナーから出発したお母さんは綺麗な人だった。そんなお母さんにふさわしい葬儀をしてあげたかったそうだ。
 お母さんの作品をみた。油絵でもアクリルでもない、むろん日本画でもない。独創的な技術を自ら開発して、まったく新しい発色を放つ絵画を創出していた。

◆ ご自宅で娘さんと話している間、なにか不思議な気が私の背中に乗っかってきた。重かった。もう受けるしかないと思った。娘さんの熱意とお母さんの不思議な気がそうさせたのだろう。

◆通夜式/式場では生演奏が、開式まえから流された。そして、娘さん達が徹夜で作られた素敵な「会葬のしおり」が配られた。
 通夜式の参列者は、ご年輩の方が大半を占められていた。開式とともに、お坊さんがいない葬儀と言えども、故人を偲ぶ気持は、宗派を超え、古来永遠に違いはない。むしろ日本的ですらあると告げる。
 黙祷の後に生前のお母様の功績を偲び、弔辞や別れの言葉が続いた。献花の最中は、お母様の好きだった曲が演奏された。

◆告別式/生演奏に代わって、娘さんたちが徹夜で作ったスライドが上映され、献花を捧げた。スライドの最初に「花夢つむぎ人」の文字が写った。弊社の小冊子「贈り名のある葬儀」を読まれて、遺族と親戚の人たちが話し合われて付けられた「贈り名」だ。
 
◆ 娘さん達は、この葬儀のために3日間も徹夜し、会葬のしおりやスライドを準備をした。疲れは限界だったろう。しかし、いい葬儀をしてあげたいという気持はその限界を超えさせたのだろう。また、そうやって身体を酷使しないと悲しみで心が悲鳴をあげてしまっただろう。
 火葬炉の蓋が閉まったとき、娘さんたちはお父様を囲んで泣き崩れた。

◆ 別れ際、娘さん達は涙しながらいった「無理なお願いでしたが、頼んでよかったです。親戚の皆さんも本当にいい葬儀だったと喜んでくださいました。ありがとうございました」と。


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