家族葬の風「葬儀と信仰」

◆ 残暑は厳しいものの、夕暮れはすっかり涼しくなった。8月の下旬にお義母様の葬儀を予約されていたMさんから電話があった。

        Mさん:    義母はカトリック信徒ですが、所属していた教会にはここ数年通っていなくて、音信不通なので、今住んでいる近くのカトリック教会で葬儀をあげたいのですが可能でしょうか?

 その教会にはMさんが何度か電話を入れたが、留守だったようだ。

         A:    こちらからも連絡を入れてみましょう。

◆ ご主人と色々相談されてお義母様の信仰にしたがってカトリックの教会で葬儀をあげてやりたいと思ったようだ。ただ、残念ながら仕事と看病におわれて、教会には相談にいけなかった。

◆ こちらから教会に電話をいれた。

        A:    こういう条件で葬儀をそちらであげることは可能でしょうか。

    あいにく神父さんは不在だったが、

        担当の女性:    可能だと思いますが、係の責任者がいますので、ご連絡します。
    
間違いないようにMさんの住所と電話番号をファックスで送った。

◆ 後日、教会の責任者から電話があった。

        教会:    本来は所属されている教会で葬儀をあげるのが筋ですが、以前所属されていた教会の神父様が了解されていますので、連絡をとってください。

    早速にMさんにその旨を伝えた。

◆ 翌日、Mさんのご主人が以前の教会の神父さんに電話連絡をし、了解を取り付けた旨、喜んだ声で連絡があった。

        Mさん:    神父さんは了解してくださり、こちらの神父さんに連絡してくださるといっていました。
       
◆ その夜に義母様は息をひきとられた。

 病院からご遺体を引き取り、ご自宅へお運びした。後はこちらの教会のスケジュールを確認して葬儀の日取りを決めるばかりだ。教会への連絡は翌朝にご主人がすることになった。

◆ 翌朝にMさんから電話があった。

          Mさん:    教会の担当者に、自分では判断できないと言われたんです。神父とも今は連絡がつかないと言うんです。

    ちょっと不安が頭をよぎる。「すぐにそちらへ伺います」といって電話を切った。

◆ 心配になったのでご自宅へ行くまえに教会によった。神父さんがいらっしゃった。イタリア人の神父さんだ。用件を伝えると外人らしい日本語で「所属されている、教会で、葬儀を、あげてください」の一点張りだ。これまでの事情をなんども説明しても、答えは同じだった。

◆ 押し問答してもらちがあかないと思い、Mさんの自宅へ行く。「以前の教会であげるしか方法が無いですね」とMさんとご主人。お二人ともご遺体の前に静かに付き添われている。時間もないので以前の教会に車で急いだ。ミサが終わるのを待って神父さんを訪ねた。

◆ 「神父は、明日の夕方にしか戻られないんです」と助任神父さん。「私では決裁は出来ませんので明日ご連絡ください」とやさしく言われる。

◆        A:    所属の教会にこだわられる理由はなんでしょうか?
    と尋ねた。

     助任神父さん:    そちらの神父には神父なりのポリシーがあるのでしょう。日ごろお付き合いのない方に、突然、葬儀をしてくださいと依頼されても、生前どのような人生を送られてきたのか、どのような信仰をされてきたのか、まったくわかりませんから、説教一つにしてもその生き方から読みとるお話しはできないでしょう。
    わたしも時々悩みます。以前同じようなケースで葬儀をお断りしたことがありましたから。仏教のようにどなたでも葬儀をあげて、お金をいただく方法もありますからね。ただ、形式的な葬儀でその人を送って良いものだろうかと悩みますね。

    正直な言葉を聞いた。

◆ Mさんとご主人に教会の考えを伝えた。仕事の都合や親戚の日程もあるので、今回は翌日自宅で葬儀をあげることになった。時間もないので司祭は、来てくださる人であれば宗派は問わないので紹介してほしいと言われる。お付き合いしているカトリックの神父さんもいるが皆、教会に所属されている方たちだ。私たちの信条では、あまり気乗りしないケースだが、ご家族の気持もよくわかる。宗派の違う知り合いのプロテスタントの牧師さんに相談し、了解してくださる牧師さんに依頼することになった。

◆ 葬儀が終わって、Mさんがいった。

        Mさん:    主人とも話し合ったんですが、今回のごたごたは私たちが原因なんですね。日ごろから教会に足を運んでいたら、みなさんにも迷惑をかけなかったのに。でも素敵な葬儀だったので、私たちの時は教会で葬儀をあげられるようにこれからは教会に通うようにしようと思っています。信仰心がないのに葬儀だけお願いするのも変ですよね。

    この言葉に救われた。

◆ さて、今回の葬儀には勉強させられた。日本の葬儀の7割は、仏教の葬儀だろうが、ほとんどの人は菩提寺とのお付き合いはないようだ。特に都会では、本人または家の宗旨を聞いても、即答できず、田舎の親戚に電話で尋ねる家族もいるほどだ。つまり、日ごろの信仰は薄い。
 にもかかわらず、亡くなると突然、仏道の信者になり、その証としての戒名を授かる。先ほどのカトリック教会の人の考え方と比べれば、はなはだ形式的だ。それが日本風と言えばそれまでだが、心のない形式をこれからの若者達に押しつけ続けることは正しいのだろうか。
 「金さえあれば、何でも買える」と豪語した若者を「心まで買えると思っているのか」と批判はしたものの、ちゃっかり信仰心はなくても立派な戒名をお金を積んでいただく風習はいかがなものかな。

◆ 後日、Mさんからメールが届いた。

「この度は 何から何まで有難うございました。m(__)m
二転三転した式場でしたが 我が家から 義母を送ることができて良かったです♪ 親戚の皆も喜んでくれ、叔父達はゆったりとした時間のなか 久しぶりの兄弟での会話を尽きることなく とても楽しんでいました♪ありがとうございました。」

 こちらこそ、「葬儀と信仰」深いものを考えさせられました。


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