入退院をくり返していたお母さまが亡くなられた。結婚をしている若い娘さんと若い親戚の青年達が集まっていた。
◆ 無宗教でいいか?/
Q: 葬儀は、お坊さんを呼ばないで無宗教で行いたい。でもご年輩の親戚の方々も葬儀には参列するので、無宗教では違和感があるのではないかと悩んでいます。何かいい方法はありませんか?
葬儀のイメージや親戚の方々の考えも伺い、色々意見交換した。無宗教葬ではあるが、お焼香もし、みなさんで「般若心経」を読んでお母さまの供養をすることに決めた。
◆ 般若心経/ 正式には「仏説 摩訶般若波羅密多心経」、本文262文字ながら、日本に入ってきた仏教(大乗仏教)の奥深い神髄をコンパクトに表現していると云われている。一般の人に最もなじみ深いお経だ。
既成仏教では、浄土教系以外の宗派では、法要でかならず読まれている。本文にある「色即是空、空即是色」など耳にされた方も多いと思う。
◆ 通夜・葬儀の式中に、この「般若心経」をみなさんで唱えてもらう。むろん、始めて読む人もいるので、こちらがゆっくりと読み上げ、唱和してもらうことになる。
「般若心経」の意味もわからず、読んでも意味があるのかと疑問を持たれる方もいらっしゃるかもしれない。しかし、一般の葬儀のお経も中身を理解して聞いている人は少ないだろう。「般若心経」の解説といわれても、とても一時間では済みそうにない。まして、葬儀は勉強会ではない。
「般若心経」に限らず、お経は声に出して読むことで功徳を積むことができると云われている。
葬儀でお経は聞いても、唱える経験を持つことは少ない。お坊さんに任せきりではないだろうか。「南無阿弥陀仏」の念仏も「南無妙法蓮華経」のお題目もいっしょに唱えるようすすめるお坊さんも少ない。
「信ずる者は救われる」が宗教の方法論であるなら、なんらかの形で経典を唱和することも意味があるに違いない。
◆ 高校生も、若い男女も、若夫婦も、地方から出てこられたご年輩の親戚のみなさんも一同に「般若心経」を唱和した。
全員でお経を唱和したことで、ある一種の連帯感が生まれたように思えた。今日、この日は、お母さまのために、家族、親族、親戚の皆が集ってお母さまの冥福を祈ってくれた。そこには一体感があった。
通夜式の後の、通夜料理の場も老若男女、交流の場になった。
◆ 翌日の葬儀式の終わりに「今後の初七日法要の時も四十九日法要のときも、思いついたときは、この般若心経を仏壇の前で唱えればいいんですよ」と伝える。
◆ 出棺の際には、どうしても気持ちを抑えきれずに娘さん達が泣きながら、棺に寄り添った。
◆ 別れ際に娘さんが云った「みんなで話していたんですが、お坊さんがいないのに、お坊さんがいてくださったような葬儀でした。ありがとう」と。