◆ T: 覚えていますか。Tですが。
A : 覚えていますよ。○○のTさんですね。資料をお送りして三年ぐらい経ちますでしょうか」
T:今朝、母が亡くなりました。色々と相談にのってほしいんです。
A:ご愁傷さまです。すぐに伺いますから。
◆ まだ、寒い日々が続くが、スタットレス・タイヤが活躍するような雪景色はない。それでも、安置室に入るとメガネが直ぐに曇った。
◆ Tさんは、病に伏した母親を一人で長年看病してこられた。何時亡くなっても仕方ないという病状で、この三年間を過ごしてきた。頭の中には、いつも葬儀のことと後始末のことがあった。
母親の葬儀には、花を一杯に飾ってあげたいと思っていた。
◆ Tさんには、ご兄弟が二人いた。一人で看病してきたTさんは、最後ぐらいは人並みの葬儀をしてあげたいと思っていたが、ご兄弟は、葬儀はしないで火葬だけで済ませたいと思っていた。Tさんとご兄弟の間で、意見が二転三転して結論がでない。
◆ 結局、葬儀はしないで、Tさんとご兄弟のご家族の8名だけで荼毘に付することになった。火葬炉の前では、僧侶に読経を上げてもらうことにした。
◆ 火葬場の安置室で用意した花をご家族のみなさんで棺の中へ飾ってもらった。写真など想い出の品も棺の中へ納めた。
◆ 葬儀の後、後飾りの飾り付けもあり、ご自宅に伺った。
Tさんは、人並みの葬儀をしてあげたかったと、後悔が残っていて、少しうなだれていた。
T: 本当はちゃんとした葬儀を出してあげたかったんですが・・・。
A: 大丈夫ですよ。何年間も一人でお母さんを看病して来られたんですから、きっとお母さまは喜んでいますよ。天国でありがとうと感謝していると思いますよ。
実際、お母さまの死に顔には、そんな気持ちを抱かせる穏やかさが漂っていた。満足げな笑みすら感じられた。
◆ 飾り付けが終わって、事務的な手続きの話になり、お母さまの遺言状についても質問を受けた。全ての財産を娘のTさんに譲るという内容のようだ。
この三年間のお母さまの思いは、Tさんの今後の生活についての心配だったようだ。自分の生活を投げ出して看病してくれたTさんへの感謝と今後の不安。少しでも生活の足しになるようにと、この遺言状をしたためたのだろう。
一通りの遺言状の説明はしたが、具体的な内容についてまで立場上、言及はできない。問い合わせ先や手順の説明に留めた。「面倒なことがあれば、いつでも連絡してください」といってご自宅を後にした。
◆ 四十九日が過ぎて、後飾りの回収も含めて、ご自宅に伺った。お母さまの介護用品も片づけられていて、仏壇にお母さまのお写真と供物、お花が綺麗に飾られていた。ずっと線香を上げて供養していたのだと分かる。Tさんの真っ直ぐな気持ちが伝わってくる。一人になっても頑張って生きていかれることだろう。