◆ 2月の上旬に某病院の看護婦さんから問い合わせがあった。患者さんのご家族からの要望で看護婦さんが葬儀社を調べ、家族葬ネットに連絡してきたようだ。看護婦さんからの問い合わせは、初めてだった。
◆ 3月になって、Kさんから看護婦さんに紹介されたと連絡があり、いま亡くなったので病院へ来て欲しいと電話があった。病院から東京の霊安室へご遺体を運んだ。亡くなった方とKさんは、伯母と甥の関係にあった。亡くなった方には息子さんがいるが、脳梗塞を患い、身体に障害を持ち、会話も不自由なのでKさんに葬儀の一切を任されていた。
◆ 翌日、千葉のKさん宅にお邪魔し、葬儀の段取りを打ち合わせした。定年退職されて、こちらへ引っ越されたそうで、静かなたたずまいに奥さんといっしょに過ごされていた。
伯母さんの遺言で「葬儀はなるべく質素にして、息子にお金を残して欲しい」とのことだった。奥さんには手作りのピザをご馳走になった。
◆ 葬儀は基本料金38万円に式場使用料70,000円、火葬料48,300円。通夜の料理は、30,000円、精進落としは、火葬後近くのファミリーレストラン「華屋与兵衛」に行かれた。「華屋与兵衛」は、ご遺骨持ち込みOKで個室もある(無いところもある)。
◆ 式は仏式で、菩提寺があり、そこのご住職がいらっしゃる予定だ。日蓮宗だった。
◆ 通夜式の開式30分まえにご住職がみえられた。若いご住職だった。先代が亡くなられ、息子さんが寺を継がれたのだろう。まだ、24~5才だ。進行の打ち合わせをした。
A:「お焼香のタイミングはいかがしましょうか」
住職:「おまかせします」
A:「お説法はございますか」
住職:「ありません」
取り付く島もない、まあ、あっさりとした方だ。
◆ 通夜式が始まった。黒い法衣で入場された。お経が始まった。ぎこちない滑り出し。でも、急に父親が亡くなられ、新人社会人の道を捨て、仏門に入ったばかりだから仕方ないだろう。若いお坊さんは、応援してあげたいものだ。
お経が終わると、さっさと帰られた。
◆ 翌日、告別式が始まった。昨日と同じ黒い法衣で入場された。お経が終わり、火葬場まで同行された。火葬炉でお経をあげられ、帰られた。
◆ 火葬の待ち時間中にKさんと話した。
Kさん: 今回は、本当に親身にしていただいて、ありがとうございました。親戚の人たちも喜んでいました。
Kさん: でも、あの住職にはまいりましたね。せっかく葬儀代金は安くしてもらったのに、戒名料の方が高くつきました。
A: えっ、でも位号は信女でしたよね。失礼とは思いますが、参考のためにお布施はいくらになったのですか?
Kさん: それが50万円でした。
◆ お布施に関しては、戒名やお寺の位、檀家さんの地位によって幅があるので一概には云えないが、戒名が信士(信女)で25万円~50万円が相場だろうか。私たちが頼まれてお坊さんを紹介するときは、25~30万円ぐらいだ。資本主義社会である以上、生きていくためにはお金が必要だし、有形無形であろうと何かを手に入れるためにはお金が必要だ。そのため相場というものが形成されるのは必然だろう。
全国に約75,000のお寺がある。年間の死亡者数は2004年で約100万人。単純計算するとお寺1つにつき13人の葬儀をする(全員が仏教とは限らないが)として、お布施を平均50万円とすると、1寺につき年間650万円の収入となる。お坊さんの人数は約30万人といわれているので、単純に割り当てると一つのお寺に4人。650万円の収入で4人が生きていくのは難しい。家族もいるだろうし。葬儀のお布施だけではお寺は維持できないだろう。
「葬式仏教」と揶揄されて久しい。しかし、葬式仏教だけでは、お寺は維持できない。75,000のお寺に比べて、コンビニは40,000店と少ないが、日常的には遙かにコンビニの方が接点が多い。
◆ だからこそ、葬儀は仏教の入口として大変重要で貴重なものなのに、高いお布施をもらって、さっさと帰ってしまっては、自ら仏教の扉を閉じてしまっているのと同じだ。
今回のように新人のお坊さんなら、50万円いただいたらな「私はまだ修行の身ですから、半分はご遺族にお布施します」とお返しするぐらいの知性がほしいものだ。「布施」も大切な修行なのだから。