◆ 気づいたときは、もう手遅れだった。奥さんはスキルス胃癌だった。あっという間に若い身体を蝕んでいった。ご主人にいった「もういいですよ」が最後の言葉だった。あまりの辛さに生きる気力は残っていなかった。
◆ 相思相愛だった。学生時代に知り合い結婚した。三人の子供に恵まれた。海外勤務が多く、家族といっしょに海外で生活した。そのためか、奥さまは、自分のことよりも子供たちの教育に全てを費やした。
◆ 長女の娘さんがいった「おかあさんは、贅沢もせず、化粧もしないで私たちのために頑張ってくれました」。三人の子供たちは賢そうだが、穏やかだった。写真の奥さまは、ふくよかでかわいい人だった。
◆ ご主人は、家族と身内だけの葬儀を望んでおられた。無宗教で家族で送ってやりたいといった。しかし、海外生活が長いこともあり、葬儀のことがまったく想像できないと困惑していた、
◆ 奥さまやご家族の事を聞きながら提案した。
A: 奥さまの人生は、愛するご主人との間に生まれたお子さん達をりっぱに育て上げることだったんですね。そのお子さん達に送られるのが最高に幸せじゃないですか。奥さまの教育のおかげで、お子様達は楽器が弾けるじゃないですか。お子様達の演奏で奥さまを送りましょう。こんな幸せなことは、望んでも簡単にできることじゃないですよ。
◆ 大学生の二人の娘は、お姉ちゃんがバイオリンを弾き、妹さんがフルートを吹くことになった。来年高校生になる弟はピアノが得意だが、式場に持っていけないので電子オルガン?を担当することになった。
◆ 小平市にある家族葬専用の斎場で、演奏会がはじまった。コンダクターはご主人だ。ご主人のタクトにあわせて、三人のお子さんがお母さんを偲び、やさしい音色を響かせた。
◆ 奥さまは、子供たちの演奏を聴くのが楽しみだったようだ。病に倒れ、闘病生活のなかでも時折、ご自宅に戻られたときは、代わる代わる演奏する子供たちの音楽を布団のなかで楽しそうに聴いていたそうだ。
◆ 子供たち三人がいっしょに演奏したのは久しぶりだったようだ。それもお父さんの指揮で演奏するのはめずらしかったのだろう。とても楽しそうな表情で演奏をつづけた。お母さんへの思いが、家族を再び一つにした。きっと奥さまはにこやかに拍手を贈っていることだろう。
◆ しかし、告別式もおわり、祭壇のきれいな花を棺にみんなで飾ってあげるときになると、思わず涙は連鎖し、ご主人も子供たちも噎んでいた。
◆ 出棺の前までは台風の余波で荒れていた空模様も、火葬場に着く頃は、雨雲の間から光がさしていた。
◆ 収骨もおわり、ご遺骨をかかえられたご主人がいった「妻には何もしてやれなかったけど、思い出に残る葬式をあげることができました。ほんとうにありがとう」。「これから寂しくなると思います。失った者の大きさを知ることになるかもしれませんが、どうぞお子様達のためにがんばってください」といって別れた。