家族葬の風「教え子達の歌に送られて」

◆ 初春とはいえ、まだ肌寒い日々が続いた。そのうえ、悲しみに追い討ちをかけるように冷たい雨が降り注ぐ。奥様は検査入院のまま帰らぬ人となった。親族はもとより、ご主人でさえ未だその現実を受け入れることは出来なかった。

◆ 奥様は、私立の幼稚園に勤務され、職員にも子供たちにも慕われていた。2年前に退職したが、その後も嘱託として後輩達の良き相談相手となって幼稚園を支えてこられた。最近体調が思わしくなく、時間の余裕が出来たところで検査のため某有名病院に入院された。検査の結果は良好で無事翌日退院ということになっていた。ところがその晩、様態は激変し帰らぬ人になってしまった。あまりのショックにご主人はうろたえていた。
 
◆ 早朝ご遺体はご自宅に戻られ、集まってこられた親族のみなさんの涙に埋もれていた。少し落ち着いてから葬儀の打ち合わせをしたが、ご主人はもうろうとしていた。細かい話は後にして、式場と日程の確認だけした。卒園式に着ていくはずだった和服を着せてあげたいという要望があったので、湯灌をすすめた。

◆    湯灌/ 翌日、家族が見守る中、湯灌をおこなった。湯灌の経験は皆さん初めてのようで、最初は戸惑っていたが、スタッフの丁寧な仕事に感心され、シャンプーをした後、徐々に美しく蘇る故人のお顔に感動されていた。最後にきれいな晴着に着替え終わったとき、故人のお母さまが泣きながら「よかったね。こんなにきれいになって」と言った。 
 
◆ 花の祭壇の周りには、34本の供花が届けられていた。式場の中は艶やかな花で輝いていた。柩の上には教え子達から送られた千羽鶴が飾られていた。式場の外に設置された受け付け用のテントの前に行列が並んだ。
 冷たい雨が降り注いでいた。式場のロビーには、ハンカチで目元を拭う若い人たちであふれていた。
 会葬者の焼香が続く中、軽い会釈をしながらもご主人の目はうつろだった。長く重苦しい通夜だった。

◆ 翌日、告別式には卒園式を終えた園児達が駆けつけた。通夜以上に会葬者で式場はあふれていた。告別式では園児の代表が別れの言葉を送った。ご主人はうつむき目頭を押さえていた。
 式は最後の別れに入った。祭壇の花は会葬者のみなさんで柩の中へ納められる。むせび泣く人たちで柩の周りは取り囲まれた。時間は無情にも過ぎていく。柩の蓋は埋め尽くされた別れ花で浮いた。

◆ 出棺に先立ち、喪主のご主人からお礼の挨拶があった。「本当にまだ信じられません。こんなことになるとは夢にも思いませんでした。本当にやさしい女房でした。一生懸命働いていました。みなさんにも親戚の人にも心配を掛けたくないと入院することもお知らせしませんでした。もっと早く気づいていればよかった。私は何もしてやることが出来ませんでした・・・」言葉が詰まる。取り乱したことが無かったご主人も感情を抑えきれず嗚咽する。会葬者達のハンカチが揺れる。
 
◆ 花であふれる柩は、園児達の歌で送られた。

◆ 後日、奥様の布団の処分と車の廃車を頼まれお宅におじゃました。会葬者は園児を除いて750名を超えていたことを知らせると驚いていた。打ち合わせのときにご主人は会葬者の予想は200名ぐらいと言っていたのだから驚かれたのだろう。奥様の人柄が偲ばれる。ご主人ももうすぐ定年でその後は奥様とのんびり過ごしたかったそうだ。
 しかし、これからは男一人の暮らしになる。これから湧いてくるだろう寂しさを思うと、胸がつまる。

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