◆ お姉さんは、某有名会社勤務の方のお嫁さん。妹さんは、元国際線のスチュワーデス。二人とも結婚されていたが、美人だった。
1ヶ月前に妹さんから相談があった。信州の方だったが、家族葬ネットのような葬儀を望まれ、連絡をいただいた。早速事前相談に「スーパーあずさ」に揺られ、お宅に伺った。
駐車場の広い落ち着いたたたずまいだった。お父様は入院されていた。
お父様の希望もあり、身内を中心とした家族葬で、生花につつまれた葬儀にしたいとの要望だった。
◆ しかし、この地方の葬儀の手順は、東京とは違う。大きく違うのは、通夜の翌日、早々に荼毘に付し、その後に遺骨を掲げ、葬儀・告別式を行う。葬儀は盛大なものになる。
東京でも三多摩の青梅市などでは、この手順だ。
家族の人たちは、東京方式で進めてもらいたいということだった。
◆ 数週間後、妹さんから連絡があった。「いま、父が亡くなりました」。夕方だった。
地元の霊柩自動車会社に連絡し、ご遺体をご自宅に搬送してもらう。こちらは「スーパーあずさ」に飛び乗り、ご自宅に向かう。3時間後に自宅に到着。おばあちゃんとご姉妹、ご主人たちがうなだれていた。
線香を上げ落ち着いたところで、家族全員で葬儀の打ち合わせを行った。
いろいろな要望を聞いた。風習の違いも議論した。大きくは次のような結論になった。
1)お父様は花が大好きだったので、祭壇も家の門も花で飾って欲しい。
2)一般会葬者の香典等は辞退する。しかし、会葬のお礼として粗品と礼状を渡す。
3)葬儀の手順は東京方式。シンプルにしたい。
◆ 翌日、スタッフ6名が葬儀道具と生花を積んで到着する。雪は、冷たい雨に変わっていた。
テントを張り、門の周りを生花でアレンジする。冷たい雨を浴びながら懸命に作業をするスタッフ。男性スタッフ3名、女性スタッフ3名。女性スタッフは体中に「ほかろん」を貼り付けていた。
◆ 玄関の周りは、綺麗な花のアレンジで飾られた。祭壇の部屋は、生花で溢れていた。
奥様は言った。「きれいだね。きれいだね。お父さんは花が好きだったからね。」
亡くなられたお父様は本当に花が好きだったようだ。東京に行かれたときは、「東京にはいろいろな花があるから」といって、娘さんたちにきれいな珍しい花をたくさん買って来られたようだ。
◆ 通夜、葬儀・告別式も無事に終え、出棺になった。
近所の人や自治会には、「家族葬」で行うので弔問、香典等はご辞退すると告知していたので、通夜・葬儀にはごく一部の知り合いの人しか訪れなかったが、出棺の時にはあっという間に200名近くの人が集まった。この地方の風習だ。
家族葬と地方の風習がうまく解け合った葬儀になった。
しかし、近所の人たちが、この様な葬儀スタイルをどう評価するのか気になる。大勢の会葬者の後で、聞き耳を立てた。
「花一杯できれいやね」「東京の葬儀屋さんらしいよ」「東京のやり方はスマートでいいやね」などなど。おおむね良い評価をいただいたようだ。後日、集金に伺ったときも評判は良かったとお褒めの言葉をいただいた。お世辞でもうれしいものだ。
◆ マイクロバスで家族、親族の人たちと火葬場に向かった。最後の別れだ。
ご遺体の周りをとりかこみ、最後のお別れをする。数分たった。火夫さんが云った「お名残惜しいとは思いますが、お時間ですので・・・」そのとき姉妹は柩にしがみつき、泣き崩れた。「お父さんいかないで!」絶叫が鳴り響いた。
姉妹は、柩に泣きすがり離れない。ご主人たちが説得するが、離れない。
体をかかえて柩から離そうとしたが、動かない。「いや、いや、いかないで」
「お父さんはいないんだよ」ご主人が背中をさすりながら諭す。「いやー」
もう一度、体をかかえようとした。そのとき、突然、妹さんは、天を仰ぐように仰向けに倒れる。姉さんは腰から崩れ落ちる。失神した。
その後、荼毘、収骨が終わる2時間ほど、起きあがることがなかった。
◆ 通夜の前に奥様にご主人の遺影を持っていったとき「ほんとうに素敵なお父さんだったのよ。あなたと同じくらい背丈で、男っぷりもあなたに似ていたわよ」と云われたが、そのやさしい笑顔の遺影が印象に残っていた。
戦後、苦しい中、家族と娘たちのために朝から晩まで額に汗して働いてこられたのだろう。名誉やプライド欲だけに取り込まれた仕事人間にはできないやさしい笑顔だった。ほんとうに大切に娘さんたちを育ててこられたのだろう。
その温かい愛情は、娘さんたちに受け継がれていた。
◆ 後日、位牌と具足を依頼された。仏壇は好きではないので床の間にあった具足を見立てて欲しいとの依頼だった。浅草の仏具の問屋街を一日中探し回った。
ご位牌を引き立たせ、落ち着いた、しかも飽きの来ない具足。そして、線香、ロウソクを灯すので安全なもの。音色、余韻の響きのよいリン。香りの良い線香。
待ちわびているおばあちゃん、娘さんたちのやさしい笑顔を思いながら。