お墓は、なんのためにあるのか? その2

 釈迦に説法ですが、日本史は世界史のなかで動いています。世界史を見ることで、日本の立ち位置がわかりやすくなります。

 大雑把(おおざっぱ)ですが、世界の宗教と日本の歴史を年表にしてみました。日本の位置をご確認ください。そのうえで、日本のお墓について考えてみます。

西暦   インド・中国 西洋 日本
BC:10世紀   バラモン教 ソロモン王  

BC:8世紀

    古代ローマ建国  

BC:6世紀

 

仏教の祖釈迦誕生   縄文時代(終)

 

  道教の祖老子誕生    

 

  儒教の祖孔子誕生    

BC:5世紀

  ヒンドゥー教 ソクラテス誕生 弥生時代(始)

BC:1世紀

  大乗仏教の成立

キリスト誕生

 

DC:1世紀

  中国に仏教伝来 キリスト教成立 倭国、後漢に使者

DC:3世紀

  三国時代 ローマ帝国時代

卑弥呼が魏に使者

DC:4世紀

      大和朝廷成立

DC:6世紀

 

隋が中国を統一

マホメット誕生 仏教伝来

DC:7世紀

 

 

イスラム教成立 遣隋使を派遣

 

 

唐が中国統一、キリスト教伝来/景教

遣唐使を派遣

DC:8世紀

 

 

  奈良時代

DC:9世紀

 

 

空海(真言宗)、最澄(天台宗)が唐に留学後、密教を確立/平安時代

DC:12〜13世紀

 

 

法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)が易行の浄土門を開く。

栄西(臨済宗)、道元(曹洞宗)が南宋に留学後、禅宗を確立/鎌倉時代

古代から鎌倉時代までは、風葬(死体放置)が一般的だった!

「餓鬼草紙」疾行餓鬼の図
「餓鬼草紙」疾行餓鬼の図の一部、鮮明にするために原画よりも明るい。平安時代、12世紀。

 「古代から鎌倉時代ごろまでは、庶民の間では風葬が一般的で、遺体を野外に放置していた。京都の町中でも空き地や河原などに置かれたので、死体の一部を犬などの動物がくわえて貴族の邸宅に入りこむ「五体不具穢(ごたいふぐえ)」が京の中心部でも院政期には多発した」(勝田至「中世の葬送」より)

 日本人は祖先を敬(うやま)い、死者を丁重(ていちょう)に葬り、その死を偲ぶのが時代を超えた日本人の死者儀礼だと思っていましたが、歴史的事実はそれを見事に裏切ってくれました。もちろん、古墳などが示すように朝廷や貴族、有力者の葬送は丁重に葬(ほうむ)られたのですが、庶民は死者を地上に置いてそのまま帰るのが普通だったようです。ただ肉親がそうする場合は、供物をそえることもあったそうで、死体をすてるというのではなく葬るという意識はあったようです。

 しかし、さすがに死者が市中にあふれてくると、「京都では15世紀ごろ(室町〜戦国時代)から市中の寺院が境内墓地を開設し、各宗派が葬祭に乗り出してくる。戦国期には庶民の間にも念仏講や無常講などの葬式互助組織が普及を始めたと考えられ、風葬は徐々に減少して土葬や火葬が行われるようになった。・・・高まる葬祭需要に対応して、中世末から近世初期(戦国期〜江戸幕府初期)には全国で寺の建立が激増した。」(同上)

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