お墓は、なんのためにあるのか? その1

散骨の姉妹

 無宗教葬を望まれたR家の奥様は、残念ながら仏式葬儀になりましたが、ご遺骨は、希望どおりに海に散骨されました。当日は、ご主人と二人の娘さんと奥様のご両親が参加されました。

 実は、この散骨は、日本人が抱いてきた「お墓に眠る死者を供養」するという考えを根底からくつがえすものです。

 昭和の大スターだった俳優の石原裕次郎さんがなくなった時、兄の石原慎太郎氏が、「海を愛していた弟は、湘南の海に還してあげたい」と1987年に海洋散骨を計画しますが、当時の法解釈(刑法190条、墓地、埋葬等に関する法律)では認められず、散骨を断念した経過があります。

 その後、1991年に「葬送の自由をすすめる会」が葬送の自由を求め、法務省や厚生省にかけあい、「葬送のための祭祀で節度を持って行なわれる限り違法ではない」との法務省の見解を引き出し、散骨が認められるようになりました。

 この散骨の認可により、1990年までは「死んだら、お墓」という日本人の共通認識は、崩れ去りました。この規制緩和?によって、散骨や海洋葬のほかに宇宙葬や樹木葬、手元供養や「遺灰をダイヤモンドのペンダントに」などなど新商売が次々に出てきました。

 そして2001年に「わたしのお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません。眠ってなんかいません〜」と新井満さんが「千の風になって」を訳詞・作曲。2006年に秋川雅史さんが同曲をカバーして「NHK紅白歌合戦」に出場を果たし、2007年には日本レコード大賞作曲賞を受賞します。もはや、お墓参りなど「無駄骨」です。

 はたして、お墓の必要性はなんだったのか、本当に必要なものだったのか。そんな疑問さえ沸いてきます。

お墓を作らない死生観と作る死生観

 さて、なんのためにお墓はあるのか?世界には、明確にお墓を必要としない死生観と宗教上どうしてもお墓を作る必要がある死生観があります。

 まずは、そのあたりから、お墓について考えてみます。

お墓を必要としない宗教  「ヒンドゥー教」

ガンジス川
◉ガンジス川/ウィキペディアより

 インドのガンジス川(ガンガー)は現在でも「聖なる川」としてヒンドゥー教徒の信仰の対象です。ヒンドゥー教に伝わる、ガンジス川を神格化した女神をガンガーと呼び、現地のひとは川自体も「ガンガー」と呼んでいます。

 この「聖なる川」で沐浴すればすべての罪は浄められ、死後の遺灰をこの川に流せば、死に変わる生まれ変わる輪廻から解放(解脱)されると信じられています。このためヒンドゥー教徒の人たちは、お墓を作る必要性がありません。

 「遺体を火葬にしてその灰をガンジス川に流すのは、聖地バラナシだけで行われている特別なことではない。実はガンガーの河岸にはいくつもの火葬場が点在していて、日常的に火葬を行っているのである。」とカメラマン・三井昌志さんが、ガンガーと火葬場の様子をインド旅行記1012▶に収めています。

お墓を必要とする宗教  「キリスト教」「イスラム教」

 キリスト教とイスラム教の「最期の審判」に関する考え方は、まったくおなじです。「最期の審判」を迎えたとき、死者は、再び完全な肉体が与えられます。

 キリスト教徒の死は、仮の姿です。アダムの罪により楽園をおわれ、罰として人は死ぬことになりました。しかし、イエスの贖罪死により、罪が許されました。人の死は仮の姿で、肉体は朽ち果てますが、最期の審判のときに復活し、無罪の判決が下された者は、神の国で「永遠の命」が与えられます。有罪の者は、本当の死「永遠の死」が罰として与えられます。

 イスラム教徒も人の死は、仮の死です。最期の審判のときに完全な肉体を神が返してくれます。無罪となった者は、緑園(天国)に行きます。有罪の者は、灼熱地獄に生きたまま行くことになります。

  キリスト教徒もイスラム教徒も、お墓は最期の審判のときまで仮の死を過ごす、神聖な場所です。最期の審判のときに、そのお墓から蘇るのです。

 そのため、ご遺体は、基本的には土葬になります。

お墓を作らない「仏教」と作る「仏教」

 日本の庶民の葬儀は、江戸時代より幕府の命令により仏教が担ってきました。

 釈尊の仏教は、ヒンドゥー教(バラモン教)から生まれてきましたので、人は生前の業(カルマ)により輪廻転生する、死にかわる生まれ変わる事は、苦であるという死生観は同じく共有しています。遺体や遺骨にあまり執着しません。

 釈尊は、弟子たちに「葬儀にはかかわるな」と申しつけていましたので、庶民の葬儀はヒンドゥー教(バラモン教)のスタイルで行われていたようです。

 仏教は釈尊没後、4〜500年ぐらいに、釈尊の教えを純粋な形で求める「上座仏教」とそのような形式主義を批判して、釈尊の精神を発揮し大衆救済を求める「大乗仏教」とに別れていきます。

 現在、仏教の発祥地であるインドでは、2001年度の統計によれば、仏教徒は人口の0.8%でヒンドゥー教徒の80.5%に比べれば雲泥の差があります。仏教は発祥の地よりもインド周辺のアジア諸国に伝播して、その国々の習俗や民間信仰と融合し、定着してきました。このため、お墓の考え方もお国柄が出てきます。

 仏教を国教とするタイでは、仏教徒はお墓を作らず、火葬のあとに骨灰を川にながすか、寺院の仏塔に納めるそうです。同じく仏教を国教とするカンボジアもお墓は作らず、火葬後に寺院に納めるそうです。両国とも、上座仏教です。

 チベット仏教を国教とするブータンでは、輪廻転生の死生観が浸透していて、お墓はつくる習慣はありません。火葬後に骨灰は、川に流すか、緑の地にまきます。あるいは、ツァツァと呼ばれる手のひらサイズの仏塔にまぜて、聖地におきます。

 次に人口の割合に仏教徒の多い国で上座仏教が伝播したスリランカ、ミャンマー、ラオス、カンボジアでは、仏教徒は一般的にお墓をつくることはしないようです。

 さて、わが国と同じように中国経由の大乗仏教が伝わった台湾、ベトナムでは、お墓をつくります。 

 

 お墓はなんのためか<その2>につづきます▶

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