これまで「なぜ無宗教葬か」と題して、まずは無宗教葬を遺言されていた奥様の葬儀が、ふたを開ければ仏式の葬儀に変更された実例をもとに「葬儀は誰のものか」という視点で無宗教葬と仏式葬儀の違いを見てきました。
その次に無宗教葬でという遺言が無視された根拠となった「成仏できるのか」という義父の言葉から、「成仏とは何か」をさぐり、本来信仰心が問われるはずの「成仏」を死後に「にわか信者」に仕立てて「成仏」させるという「葬式仏教」のカラクリを明らかにしました。
そして、その「葬式仏教の由来」を歴史的に追い「仏心から物欲」への心変わりの側面をみてきました。
この章では、以上をふまえ、本題の無宗教葬の意義について探っていきたいと思います。
私たち日本人は、正月には神社で祈願し、結婚式はチャペルで愛を誓い、お葬式は仏教で成仏を願います。神道もキリスト教も仏教も死生観・他界観は、それぞれ全く違いますが、違和感なくそれぞれの宗教的儀式をこなします。
この宗教観は、一神教・世界宗教が求める標準的な信仰「信じきり、けっして疑わない」という信仰とは程遠いものです。おそらく世界的にみても珍しい宗教観かもしれません。
日本は自然にめぐまれています。気候が良く、山紫水明、四季折々の自然に囲まれ、山の幸・海の幸も豊富です。唯一、生活を脅かすものは、自然災害だけでした。そのため太古より、日本人は八百万の神々を信仰し、五穀豊穣を祈願してきました。
この多神教的な宗教観は、海外からの新たな神々・信仰をも受け入れ、あるいは日本の風土にあわせて独自の進化を遂げてきました。
懐が深いですね。この多様性が、いつの時代も変化に対応し、発展してきた日本の源泉であったのかもしれません。
てすと