家族葬ネットが無宗教の葬儀「無宗教葬」を本格的にとりくむ、きっかけとなった反面教師的な葬儀がありました。いまの日本で無宗教葬をおこなうときに注意すべき点や無宗教葬と仏式葬儀のちがいが凝縮されている家族葬でした。その家族葬をもとに、無宗教葬について考えていきます。
無宗教葬を遺言された奥さまは、ガンで亡くなられました。
2年前に告知されたそうです。ご主人は奥さまの看病と残された時間をいっしょに過ごすために勤められていた会社を辞められました。奥様のことを愛していらっしゃったんですね。お二人には、中学生と高校生になる二人の娘さんがいました。生計は苦しくなるが、家族がいっしょになって、この2年間を大切にしようと退職されたそうです。
奥さまは生前から、ご自分の葬儀について「無宗教で家族だけで送って欲しい」「遺骨は海に散骨してほしい」とご主人に伝えていました。また、その内容も細かくノートに書いて、ご主人にのこされていました。
ところが、奥さま亡くなられると、無宗教葬の遺言にもかかわらず、突然に仏式の葬儀に変更されてしまったのです。
葬儀の打ちあわせになると奥さまのお父さまが、「せめて、お経だけでも上げさせてくれ、成仏しないよ」と哀願されたのです。お父さまは、ある仏教寺院の檀家総代をされていたのです。
ご主人は優しい方でしたので、お父さまのお気持ちも忖度(そんたく)され、その寺院から、お坊さんをおよびし、ご自宅で仏式の家族葬に切りかえたのです。ただ、遺言にあった「戒名は必要ない」ことと「散骨する」ことは譲りませんでした。
さて、葬儀の段取りもととのい通夜をむかえました。あとはお坊さんを待つばかりでした。
ところが、通夜の開式10分前になっても、お坊さんは姿を見せません。通常、遅くても開式30分まえにこられて、ご遺族との挨拶や式の段取りの打ち合わせなどをするのですが、道に迷ったかと思い、表通りまで出ていくと、赤い外車のスポーツカーが砂埃をたて、目の前をかけぬけ、喪家のまえで止まりました。そして、黒い袈裟を着た若いお坊さんがおりてこられました。
お坊さんが、スポーツカーに乗るなとは申しません。しかし、葬儀にはふさわしくありません。TPOぐらい心得てほしい。せめてタクシーで来るぐらいの配慮は思いつかなかったのでしょうか。怒りを通りこして、あきれてしまいます。ちなみにご主人の車は、中古の軽自動車です。
ともかく通夜式も終わり、2階で休憩されているお坊さんにお茶をお持ちし、翌日の葬儀と火葬場までのスケジュールを確認しますと「戒名もつけない、墓にも入れないで散骨する?そんな人のために火葬場まではつきあえません」と断られたのです。
怒りが込みあげて来たのですが、仕事柄ぐっと気持ちを押さえて事なきを得ました。このときのことを思い出すたびに今でも震えが起き、目頭があつくなります。
さて、このR家の家族葬には、いくつか考えさせられる事柄がありました。この仏式葬儀を反面教師として、無宗教葬の意義を探ります。問題点を整理しますと、次のようになります。
順番に考えてみたいと思います。
まずは