葬式仏教の始まり

■飛鳥時代に仏教が
 

日本に仏教が伝えられたのは、538年、朝鮮半島の百済経由でもたらされました。607年には聖徳太子は、最初の遣隋使として小野妹子を中国に派遣し、積極的に中国の文化、人材をとともに中国の大乗仏教をとりいれました。聖徳太子は、仏教の教えを政治的に実践していきました。

■奈良時代
 
 奈良時代には、仏教は学問的な要素と呪術的な手段として、王権の安泰と国家の平安をまもる鎮護国家の教えとして擁護されました。このため僧侶は、寺にこもり一般大衆と接触することは禁じられていました。葬儀に関しては、儒教の影響もあり、徐々に天皇や高級貴族の葬儀には関わっていたようです。
 
 
■平安・鎌倉時代
 
 平安時代も特権階級の道具として国家によって保護され発展しました。
 平安末期から鎌倉時代にかけて、権力は貴族から武士へうつり、末法思想もあり世情不安のなか、国家や貴族の仏教から、民衆救済の大衆的な大乗仏教が発展していきました。この時期に日本を代表する開祖が誕生します。法然、親鸞、道元、日蓮など。
 
 
■室町・戦国時代
 
 鎌倉時代から室町時代にかけては、貴族や武士の葬儀に僧侶も積極的に関わっていきました。このころから、先祖供養を中心にさまざまな仏事があみだされ、法要の回数もふえ、葬儀や法事は寺院・僧侶の重要な収入源になっていきました。しかし、一般大衆は「野すて」か山間に土葬するぐらいだったようです。
 その後、寺院や僧侶は広大な領地と権力をもち、源氏や平家などの権力者たちをおそれさせました。しかし、戦国時代には織田信長により攻められ、寺院の勢力はおとろえました。
 
 
■江戸時代
 
 徳川家康が天下を平定すると、仏教はふたび幕府の保護下におかれます。檀家制度がひかれ、「宗旨人別帳」により民衆はそれぞれの宗派にくみこまれていきます。これは主にキリシタンの弾圧を目的としたものでした。
 そしてこのときに、幕府は仏教の僧侶に葬式をやるように命じたのでした。
 それまでは、葬式は村の長老がやっていました。神主でもあった長老は結婚式や祭事などもやっていました。葬式の帰りに塩を身体にまくのは、人の死は「穢れ」とか「霊魂」がまつわるから、塩で清めるという日本古来の生死観に由来しますが、神道的な考えがいまの葬式にくみこまれている一つの例ではないでしょうか。

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