<高僧、日本風刺漫画の祖> とばそうじょう
覚猷(かくゆう)
1053~1140年。
平安時代後期の天台僧。日本仏教界の重職を務めた高僧であるのみならず、絵画にも精通し、鳥獣人物戯画などの作者に擬せられている。そのユニークでユーモアあふれる作風から、漫画の始祖とされることもある。
1138年、47世天台座主となったが3日で退任し、厚い帰依を寄せていた鳥羽上皇が住む鳥羽離宮の証金剛院へ移り、同離宮の護持僧となった。以後、鳥羽僧正と呼ばれた。
日本の風刺漫画の祖として名高い「鳥獣戯画」を描いた。他にも女体の不動明王や、便所で尻をふいている不動明王を描き、87歳で死んだ。弟子達が師僧の遺産の分配について遺言を要求したのに対して、「処分は腕力によるべし」と遺言状を書いたという。(「古事談」)
(人間臨終図巻/徳間文庫より抜粋)
<小説家、道徳思想家> とるすとい
レフ・ニコラエビッチ・トルストイ
1828~1910年。ロシアのトゥール県で生まれる。
墓所は<ロシア、ヤースナヤ・ポリャーナ>
「アンナ・カレーニナ」「戦争と平和」などで今でも多くの人に愛されている世界文学史上の巨匠のひとりである。伯爵家の3男として生まれるが、子供の頃両親を亡くしている。幸福な結婚生活、小説家としての名声、莫大な収入を得ているにもかかわらず、50歳の時それまでの作品を否定し、「我が懺悔」を書きはじめた。作品だけでなく、妻もたくさんの子供も、巨額の印税も伯爵の地位もすべて捨て去ろうとしたが、家族達の抵抗にあう。何度も家出をはかってはとりやめていたが、82歳の時遂に実行する。小さな包み一つで汽車に乗り行方不明となる。4日目に汽車の中で熱を出し、あとを追ってきた家族にみとられて肺炎で死亡する。
ヤースナヤ・ポリャーナに戻ったトルストイの棺は、彼を慕う農民たちに担がれた。モスクワから多くの市民が鉄道で葬儀に向かおうとしたが、ロシア政府はトルストイの反逆精神が広がることを恐れて、臨時列車の運行を許さなかった。それでも1万人を超える参列者が集まり、“聖人”に最後の別れをした。
(人間臨終図巻/徳間文庫より抜粋 ブリタニカ国際大百科事典参照)