<映画監督> おづやすじろう
1903~1963年。東京深川に生まれる。
戒名は「曇華院達道常安居士」
墓所は<神奈川県鎌倉市の円覚寺>
墓石には「無」の一字のみ。
「なんでもないことは流行に従う、重大なことは道徳に従う、芸術のことは自分に従う。」と言った彼は代表作「東京物語」「晩春」「秋刀魚の味」など生涯に54本の映画を撮った。1年間の小学校の代用教員や2年間のシンガポールでの軍報道部映画班員を経験している。黒澤明監督に比べて世界での評価が出るまでには随分時間が経ったが、今では世界映画史上に輝く日本人監督としてその名が知られている。還暦の年の誕生日12月12日に悪性腫瘍で死亡する。生涯独身だった。北鎌倉の円覚寺の墓にはただ「無」ときざまれている。
「六十歳 某月某日酔余門巷に窮死するか」。死の三年半前戯れにそう書いた。
戦後の小津作品の中心を担った女優原節子は、小津の死と共に一切の公の場から姿を消した。
(百人の20世紀/朝日新聞社より抜粋)