著名人の死様

か行の2


小林一茶

小林一茶の図

<俳人> こばやしいっさ

 

1763~1827年。信州柏原に生まれる。

 

法名は「釋一茶不退位」

墓所は<長野県上水内郡信濃町・小丸山墓地>


 15歳で江戸に奉公に出、49歳で故郷に帰り、52歳で最初の結婚をする。子供は4人次々に生まれるが、2歳までに次々に亡くし、妻をも亡くす。半生の苦労のためか40歳で白髪、50歳の時には歯はすべてなく、結婚後もよう、瘧、疝気、疥癬などを患い、57歳の時には中風を発して一時半身不随、言語障害をおこす。また高血圧のため耳鳴り症状に悩まされる。それにも関わらず、62歳で再婚、離婚し、63歳で3度目の結婚をする。翌年3度目の中風の発作を起こし、11月19日に亡くなる。5人目の子供は彼の死後に産まれた。
 雀の子そこのけそこのけ一茶が通る
 夜の雪しんしん耳は蝉の声
 これがまあつひの栖か雪5尺
(人間臨終図巻/徳間文庫より抜粋)

 

ゴ ヤ

ゴ ヤの図

<画家>ごや 

 

フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス
1746~1828年。スペイン生まれ


 

墓所は<スペイン、マドリードのサン・アントーニオ・デ・ラ・フロリーダ礼拝堂(ゴヤのパンテオン)>


 鍍金師の子として生まれ、肖像画家から宮廷画家になった。異端審問所が威力を持つ時代に「裸のマハ」を、ナポレオン軍の侵入の時反戦画「一八〇八年五月三日」や「戦争の戦禍」を描く気骨ある画家として知られている。頑強な肉体と精力の持ち主で、妻との間に20人の子供を、67歳の時には人妻にも子供を生ませている。

 スペインの自由主義者弾圧を避けて1824年、78歳の時にフランスに亡命。1826年マドリードに一時帰国し、宮廷画家の辞職を認められる。1828年、亡命先のボルドーにおいて82年の波乱に満ちた生涯を閉じた。
(人間臨終図巻/徳間文庫より抜粋)

きょうの「ブレイクタイム」

平成29年11月19日(日)

日野皓正児童虐待について

 ミュージシャンからの意見。なるほど、ジャズ深いな。

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日野皓正児童虐待事件について
八幡謙介

<家族葬ネットの思い>

家族葬ネットの愛甲代表のインタビュー動画です。家族葬の表裏をわかりやすく解説しています。

<家族葬ネットの新着情報>

◎2017年1月31日 「おくやみ」欄のアーカイブ・ページを開始。最近、著名人のおくやみ欄に掲載される葬儀に家族葬が増えているので、概要をしるため。

◎2017年1月27日 「リンク集」のページを開始。

◉2016年4月8日 「死と終末期の延命治療」のページに「参考資料」欄を設け、「寝たきり老人がいない欧米、日本とどこが違うのか」の記事を追加。

◉2016年1月29日 「家族葬ネットのヘッドライン」を追加。

2015年10月27日 「おくやみと合掌」と「社長のぼやき」を更新。

◉2015年3月7日 全体のデザインをリニューアルしました。

◉別冊宝島「新しい葬儀の本」に家族葬ネットが紹介されました。2015年2月13日発行。

◉家族葬に似合う「ワイン葬」をアップしました。4月1日

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