<禅僧> いっきゅうおしょう
1394~1481年。京都に生まれる。
戒名は「一休宗純」※一休は「道号」
墓所は<京都府京田辺市の酬恩庵(一休寺)>
室町時代の禅僧で臨済宗大徳寺派で戒名は宗純。後小松天皇の皇子と伝えられる。詩集「狂雲集」や詩文集「自戒集」「骸骨」などを残し、その奇才と風狂は江戸時代の「一休咄」などに描かれた。堕落した官寺五山を罵ったが、自らは酒し淫房に出入りし、女犯肉食、風狂のままに生きた。87歳でマラリアを発病、高熱を発し死んだ。その際「死にとうない」といって、すわったままねむるように死んだという。
(人間臨終図巻/徳間文庫より抜粋 ブリタニカ国際大百科事典参照参照)
<名主、地図製作> いのうただたか
1745~1818年。上総国山辺郡小關村に生まれる
戒名は「有功院成裕種徳居士」
墓所は<東京都台東区浅草の源空寺>
下総佐原村の名主を49歳で隠居し、50歳で江戸に出て西洋暦学、測量術を学ぶ。
彼は頑健な体格ではなく、しかも痔や痰咳などの持病があったが、憑かれたように55歳から71歳まで17年間にわたり3万5千キロを歩き、日本で初めての正確な地図「大日本沿海輿地全図」を作成する。
そして文政元年、江戸八丁堀亀島町の屋敷で大往生をとげた。77才だった。遺言はただ「恩師高橋先生(高橋至時:江戸後期の天文学者)のお墓のそばに葬ってくれ」ということだけであった。
遺骸は遺言通りに浅草源空寺の高橋至時の墓側に葬り、爪と髪は菩提寺の観福寺(佐原)に葬られた。
(人間臨終図巻/徳間文庫より抜粋)
<喜劇俳優> えのけん(えのもとけんいち)
1904~1970年。榎本健一
東京市赤坂区青山(現在の港区青山)に生まれる。
日本の喜劇王といわれ、孫悟空役は有名。
戒名は「天真院殿喜王如春大居士」
墓所は<東京都港区西麻布の長谷寺>
昭和27年エノケン劇団解散の時座員の退職金を作るため地方巡業に出かけ、特発脱疽で右足膝から下の切断を宣告される。皮肉にも以前舞台で孫悟空を演じたときに如意棒に当たったことが原因だという。その時はつまさきだけを切断したが、10年後再発し大腿部から切断するに至った。彼は最初の時に首吊りとガス自殺を、再発の時には、首吊り自殺をはかっている。しかし、いずれもみごとにカムバックをはたした。66歳の時に重い肝硬変で入院し、肺炎を併発し亡くなった。
(人間臨終図巻/徳間文庫より抜粋)
<社会哲学者> えんげるす
フリードリッヒ・エンゲルス
1820~1895年。ドイツのバルメンに生まれる。
墓所はない。<散骨>
49歳の時取締役であった織物会社を辞め、「国際労働者教会」の書記として活躍をする。マルクスの最も親しい協力者で、弁証法的唯物論が近代科学の理論と実践に絶対不可欠であることの証明を試み、近代思想に対して貢献した。「空想から科学への社会主義の発展」「家族・私有財産および国家の起源」などを著す。マルクスの死後「資本論」の編集刊行をする。しかし喉頭ガンのためロンドンで死去する。遺言により、遺体は火葬にし、灰は友人達によりドーバーの波に投ぜられた。墓はない。
(人間臨終図巻/徳間文庫より抜粋 ブリタニカ国際大百科事典参照)