<精神分析学の創始者> ふろいと
ジグムント・フロイト
1856~1939年。オーストリアのフライベルク(現チェコ・プリボル)で生まれる。
墓所は<ロンドンのグリーン・ガーデン墓地>
1900年「夢判断」を出版し20世紀の思想に大きな影響を与えた。10年には国際精神分析学協会を設立する。口中の白板症がガンに変わるまで67歳から80歳まで33回の手術を受け、上顎、口蓋全部を切除し、鼻孔と口腔が一つになり、人工顎と人工蓋と義歯をはめた。そんな中で「神経症と精神病」「幻想の未来」などを著し、患者の治療にあたった。ユダヤ人であったため、ナチ政権に著書を焚書され、財産は没収され、ロンドンに亡命した。
1939年9月21日、末期ガンに冒されたフロイトは10年来の主治医を呼び、「シュール君、はじめて君に診てもらった時の話をおぼえているだろうね。いよいよもう駄目と決まった時には、君は手をかしてくれると約束してくれたね。いまではもう苦痛だけで、なんの光明もない。」と言い、翌朝に過量のモルヒネが投与されて、23日夜にロンドンで83歳4か月の生涯を終えた。遺体は火葬され、骨はマリー・ボナパルトから送られたギリシャの壺に収められて、現在グリーン・ガーデン墓地に妻マルタと共に眠っている。
最後の日々を過ごした家は、現在、フロイト博物館になっている。ウイーンに残った彼の妹4人はナチスのガス室で殺された。
(人間臨終図巻/徳間文庫聞社 百人の20世紀/朝日新聞社より抜粋