『新・佛教辞典(中村元監修・誠信書房刊)』によれば、法名とは「出家授戒のとき、俗名を改めて授けられる法の名字をいう。また法名は授戒ののち授けられるものであるから戒名ともいう」と書かれています。
しかし、仏教の開祖・釈尊つまりお釈迦様の時代にも、その後の仏典にも実名を改めて戒名を名乗る制度はなく、発祥は中国だといわれています。
仏教の中国伝来は1世紀ごろで、サンスクリット仏典の漢訳は2世紀になります。そのころ中国では、高貴な人の実名を直接お呼びすることを畏れ多いとする実名敬避の習俗がありました。この実名敬避の習俗は、「周」時代から「漢」時代に掛けて「礼制」へと高められ、実名を諱(イミナ)と称し直接呼ぶのを避け、その代わりに男子は元服すると実名とは別の名前「字(アザナ)」で呼ぶことを礼儀としていました。
このような習慣のなかで出家信者の道を歩むにあたり、俗名を改めて戒名を名乗る考えは自然だったのでしょう。当時、字(アザナ)は2文字が定番でしたから、戒名も2文字になったのでしょう。
日本で最初に正式な授戒をしたのは、聖武天皇で754年に中国からの渡来僧・鑑真(がんじん:688年〜763年)により「勝満」の戒名を授かりました。
さて戒名の構成は、例えば「○○院□□▲▲居士(信士)」では、▲▲が本来の戒名(法名)です。
○○院は「院号」、□□は「道号」、居士(信士)は「位号」といって、それぞれ尊称に値します。
「院号」は天皇の退位後の御所を院と呼び、尊称としたものです。
「道号」も高名な和尚の尊称で南宋以降の臨済宗で盛んになり、一般化したようです。
「位号」は文字通り位を表し、居士はインドでは富豪、中国では学徳が高くても仕官しない人を指し、在家信者の最高位です。院・居士が付けば、今風にいえば、寺院に対する大資産家のスポンサーで信仰篤き人となるのでしょう。
しかし、この構成は死後戒名の体裁で、生前に授戒し仏門に身をおく現代のお坊さんでも「私は□□院△△○○居士です」と自ら尊称を名のる厚顔無恥な人はいないでしょう(僧侶に居士はないですが)。
苗字+戒名2文字か、真宗の釋号+法名の3文字が一般的でしょう。
戒名とは「三帰戒を受けて仏門に入った者につけられる名。現今では通常死者に対して与えられる名と解しているが、元来は生前中に授けられた。」(新・佛教辞典)と解説しています。
ちなみに、死後に戒名をつける制度は、室町時代に日本のお坊さんが考案し、江戸時代に一般化されました。
在家の死後戒名は、戒名(法名)2文字の上に道号がのせられ、戒名の後に位号が加わります。つまり、戒名の前後が尊称で固められます。さらに要望により、冠に院号がのせられ、位号も立派なものになります。
ただし、浄土真宗では、戒名と呼ばず「法名」と呼び、どなた様も釋+法名の3文字です。女性は釋尼+法名になります。「釋」は、釈迦族の一員になったという意味です。
さて、院・居士(大姉)や院殿・居士(大姉)の戒名ともなれば、その尊称の意味からすれば、殿下、閣下、殿様、仏様、大富豪様などと等しい超豪華版になります。
死者の功徳を讃えてつけるのですから、お金さえからまなければ、多少くどい尊称ですが結構なことだと思います。
江戸時代以降、死者の供養は、読経とこの戒名授与によってなされ、ご遺族の悲しみと不安を除いてきました。
これこそ日本の文化だと宗教学者・保坂俊司氏は、戒名の功を主張されます。
さて資本主義経済では、需要があり、その供給があれば価格が成立します。需要が増えれば、価格は高くなります。
さらに高額なブランド商品を求めるのは、購入すること自体で欲求を満たすからだといいます。ブランドの神髄は、満足の保証と差別化にあるそうです。どれほど崇高な信仰をお持ちの僧侶でも生活をし、仏道をなりわいとするなば、経済法則に支配されます。
条件はそろいました。「院・居士」のご位牌を見て「りっぱな戒名ね。大変だったでしょう」「恩返しと思えば、安いものよ」などと満足げな会話が聞こえてきそうです。
その一方で、致し方なく「俗名」や「信士(信女)」をつけた位牌を前に申し訳なさそうにするご遺族の姿もあります。しかし、この差別感が「院・居士」などのブランドを成立させています。
宗教学者・島田裕己氏は、戒名を社会秩序の反映であり、目に見えぬ権力としての罪を指摘し、仏教研究家・村井幸三氏は仏式葬儀から戒名を切り離すよう提案されています。
私たち家族葬ネットは、特に無宗教で葬儀をあげられるときには、「おくり名」を提案しています。
詳しくは、「おくり名(贈り名)」をご覧ください。