「オクリナ」は漢字で「諡」、字音は「シ」、和風表記が「贈り名」です。
「イミナ」は漢字で「諱」、字音は「キ」、和風表記は「忌み名」となります。「忌む」は、つつしみ、はばかることです。
古代社会では、ある種の行為を忌み避けるタブーの一種として、高貴な人の実名を直接お呼びすることを畏れ多いとする実名敬避の習俗がありました。
この風習は中国では、周時代から漢時代に掛けて「礼制」へと高められ、実名を「諱(イミナ)」と称し直接呼ぶのを避け、その代わりに男子は元服すると実名とは別の名前「字(アザナ)」で呼ぶのが礼儀とされました。
字(別名)をもって諱(実名)の代称とする実名敬避の用法は、死後には諱の代わりに生前を讃えて送る称号「諡(オクリナ)」を生みだすことになります。(後に諱と諡は混同されます)
孔子は、「尊称」
例えば、孔子(コウシ:前552〜前479、春秋時代の学者・思想家。儒教の祖)は尊称で、姓は「孔」、名は「丘(キュウ)」、字は「仲尼(チュウジ)」、諡は「文宣王(ブンセンノウ)」と称されました。
ちなみに尊称の孔子の「子」は「先生」という意味です。
この礼制は奈良時代に日本に影響をおよぼし、歴代天皇に諡号(シゴウ)を贈るようになります。
また、諡を贈ることは天皇の大権の一つとされ、僧侶にも大師号が贈られました。天台宗の開祖・最澄には「伝教大師」、真言宗の開祖・空海に「弘法大師」が贈られました。
江戸時代になると私的な諡が将軍、大名、儒家、国学者などの間で行われたそうです。
イミナの論争
諡の由来となった諱については、江戸中期の国学者・本居宣長(1730〜1801)が『古事記伝』において、諱は我が国固有のものではない、漢国の制だ、古代より実名敬避の習俗は日本になかったと論じました。
この説に対して、大正時代に東京大学教授、枢密院議長を歴任された法学者・穂積陳重(ほずみしげのぶ:1855〜1926)氏が精密な研究と多数の事例をあげて、実名敬避の習俗が人類学上の不変的な現象であり、中国の「諱の礼制」を輸入する以前、日本古代より実名敬避の習俗はあったと反論・実証しました。(「忌み名の研究」穂積陳重著:講談社学術文庫)