平安時代の女流作家は、実名敬避の風習が強く、代称(別名)をもって実名を隠したので今でも本名はわからず、その美称のみが残っています。
『源氏物語』の作者「紫式部」も実名不詳で父・藤原為時(ふじわら の ためとき)の官職名「式部大丞(しきぶたいじょう)」に藤原の藤を合わせて「藤式部(ふじしきぶ)」と呼ばれていましたが、死後に『源氏物語』の登場人物・紫をのせて「紫式部(むらさきしきぶ)」と呼ばれるようになりました。
『枕草子』の作者「清少納言」も実名不詳で父・清原元輔(きよはら の もとすけ)の清と親族の官職名「少納言(しょうなごん)」を合わせて「清少納言(せいしょうなごん)」と名乗ったといわれています。
当時の女性は、両親のみが実名を知り、他人に本名を明かすのは、例えば求婚する男性に承諾の意味で名前を明かす程度でした。
これは、名前は肉体に付けられた記号ではなく、魂につけられた呼び名であったからだと民族学者・岩井宏實氏が論じています。また、名前と魂が一体化するという考えは、日本の言霊思想だと民俗言語学者・豊田国夫氏は分析します。
皇族などの代称には「陛下」「殿下」「閣下」などがあります。「陛」は階段の意味で、高貴な人に直接呼びかけるのは畏れ多いので階段の下で警護する人に取り次いでもらう意味をもった尊称です。この他に御門(みかど)・宮(みや)・御所(ごしょ)・御台所(みだいどころ)・御前(ごぜん)など居所、建物をもって代称とするのは実名敬避ではよく見られます。
手紙などの宛名に「様」「殿」「御中」を添えるのも、もともと相手に直接手紙を送りつけるのは失礼だという実名を避ける用法です。
「様」は相手のいる方向に、「殿」は相手の住んでいる御殿(建物)に送る意味で、「御中」はその建物の中にいる取り次ぎの人に送る意味でした。
神聖な人の名を呼ぶのは畏れ多いとした「忌み名」の習慣が、タブーに対する消極的な対応とするなら、神聖な人の生涯を讃える「贈り名」はタブーに対する積極的な対応です。
同じようにタブーを積極的にとらえ、神聖な人の尊名を受け継ぐことによって、その魂と力量、権威を手にすることができるという価値観も生まれました。「襲名制度」もその一つです。茶道や歌舞伎などの襲名は今日まで続けられ、日本の伝統・文化が継承されています。