神武天皇(初代)から昭和天皇(124代)まで

 『古事記』 『日本書紀』によれば、神武天皇(じんむてんのう)は初代の天皇であり、皇室の祖先にあたるといわれています。この「神武天皇」というお名前も生前の功績を讃えて崩御のあとに贈られた「オクリナ(諡)」で漢風諡号(かんふうしごう)といわれる称号です。

 歴代の天皇のお名前には「諱(イミナ=実名)」のほかに「諡号(しごう)」「追号(ついごう)」「尊称(そんしょう)」などがあり、諡号にも漢風諡号と和風諡号があります。

 『日本書紀』によれば、神武天皇の諱(イミナ=実名)は「彦火火出見(ひこほほでみ)」で和風諡号は「神日本磐余彦天皇(かむやまといはれびこのすめらみこと)」です。また、「始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)」とも尊称されますが、この読みが第10代「崇神天皇(すじんてんのう)」の尊称「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と同じ読みのため、初代天皇を崇神天皇だとする異説もあります。

 ちなみに、天皇に氏(うじ)・姓(かばね)の苗字はありません。

 氏は大和朝廷における有力豪族に許された集団名で、姓は氏につけられた尊称で政治的地位や官職に応じて天皇が与えられた苗字です。

 このため与える側の天皇には必要性がありませんでした。つまり、唯一絶対の存在であるため名乗る必要性がなく、唯一絶対の存在であるが故、その実名さえ直接お呼びすることは畏れ多く、尊称や美称などの代称でお呼びしたようです。

 

 諡号の歴史

 

 漢風諡号は、初代神武天皇から第44代元正天皇(弘文天皇・文武天皇は除く)までは、弘文天皇の曾孫・淡海三船(おおみのみふね 722〜785)が勅令により、一括して選定されたといわれています。

 そもそも「天皇」という語の成立は、7世紀前半の推古朝説と近年では7世紀後半の天武・持統朝説があり、公的な称号として用いられたのは第40代天武天皇時代(673〜686年在位)からのようです。

 

 実際に天皇に和風諡号が最初に適用されたのは、第41代の女帝「持統天皇(690〜697年在位)」で703年に崩御(ほうぎょ)され、翌年に「高天原広野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)」が贈られました。この「高天原広野姫天皇」の諡(オクリナ)は、高天原(たかまのはら)の主神「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」を暗示しているかのようです。

 最初に実際に天皇へ漢風諡号が適用されたのは、第42代「文武天皇」からです。

 

 和風諡号は第53代「淳和(じゅんな)天皇」を最後に止み、漢風諡号は第58代「光孝(こうこう)天皇」を最後に止みました。(崇徳(すとく)、安徳(あんとく)、順徳(じゅんとく)天皇を除く) 

 その後は、例えば「平城(へいぜい)」「一条(いちじょう)」「嵯峨(さが)」天皇など生前の宮所や御座所(おましどころ)など縁(ゆかり)の地名を根拠に尊称とする追号が全体をしめるようになりました。

  明治からは、一世一元制になり、昭和天皇のように崩御の際は元号が追号として贈られます。存命中は「今上天皇(きんじょうてんのう)」とお呼びします。

 

 

 

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