■教祖 イエス・キリスト(紀元前4年誕生)
■成立 西暦28年
■聖地 エルサレム(ヴァチカンは聖ペトロの埋葬地/カトリックの総本山)
■聖典 聖書(旧約聖書と新約聖書)
●キリスト教にとっては、死は人類の始祖アダムの犯した罪(原罪/げんざい)の結果であり、罪に対する罰(ばつ)です。
「原罪」とは、旧約聖書の「創世記」で、神が固く禁じていたにもかかわらず、イヴが蛇にそそのかされて禁断の木の実を食べ、アダムもそれに追随した「人類最初の罪」を犯します。
●キリスト教では、この罪を「人間が生まれながらにして負っている神への罪」という意味にまで拡大した「原罪」という独自の概念をつくりました。ユダヤ教では、この罪の概念は単なる神の罰(楽園追放=失楽園)や戒めと理解しているようです。
●キリスト教では、この「原罪」が教義の中心テーマとなります。イエス・キリストは、神に対して生まれながらに人間に代わり、人間の「原罪」を自ら引きうけて、人間のために死にました。神は十字架を背負って死んだキリストを復活させ、人類を救う神の愛の行為をキリストの死と復活によって啓示したのです。
●人類(キリスト教信者)は、このキリストの死の行為を信仰によって自らのものとすることで、自らの死を克服し、神の国、永遠の命にむかえ入れられるのです。
●その意味では、この信仰がある限り、生前でも永遠の命にむかえ入れられるのですが、その状態が生前は蕾(つぼみ)のような状態で、死後はそれが美しく開花するような状態になるようです。
●カトリックの場合は、このような状態を「至福直観(しふくちょっかん)」といい、神と人は恵みと悲愛のなかで一致することができます。また死後、神と一致するまでに心の汚れを浄める「煉獄(れんごく)」という浄めの過程を経ます。人は信仰と善行を積むことで神の救済を受けられます。
●プロテスタントは、人はあくまでも神の前では罪人であり、神は罪人のわたしたちを「それでいいんだよ」といって、ひたすら神の恵みによって救済してくれます。人は信仰によってのみ、神の救済を受けられます。
●神の国の完成形は、ユダヤ教とおなじで、サタンの支配がおわる「終末」をむかえ、「キリストの再臨」で至福(しふく)の千年王国がはじまります。このとき埋葬された死人たちはすべて生き返り、「最後の審判」をうけます。
●そして、この復活のときは、生前の姿で復活します。このため埋葬は、柩(ひつぎ)に遺体を入れた「土葬」ということになります。ただし、カトリック教(旧教)では、「土葬」が支配的ですが、プロテスタント教(新教)では、合理的、衛生的な死体処理として「火葬」がすすんでいます。
●また、人間の肉体は霊の閉ざされた器と考え、死後それが解放されて精神の世界に昇天すると信じられていますので、日本人のように遺体や遺骨に特別な感情移入はしません。
(参考:死とはなにか/大法輪選書、キリスト教がよくわかる本/PHP、世界の五大宗教入門/主婦と生活社、世界の葬式/新潮選書)