家族葬は、ご家族と親族、友人など近しいひとたちで、故人を偲ぶ葬儀です。
家族葬には、決まった形式があるわけではありません。
家族葬によせられる期待には、次のようなものがあります。
●ゆっくりとしめやかに家族や近しい人だけで別れのときをすごしたい。
●葬儀の準備や手配にふりまわされず、静かに故人を偲びたい。
●義理の会葬に気をつかわずに、心から悲しんでくれる人たちで送りたい。
●形式に振り回されず、故人を偲ぶ、こころ温まる葬儀にしたい。
と、家族葬を説明する文章はよく見かけるのですが、いわゆる伝統的な「お葬式」と何がちがうのでしょう。「小さなお葬式」という商品名も見かけますが、サイズの違いなのでしょうか?
実は、この違いは、180度もちがうのです。
伝統的な「お葬式」は、江戸時代より村落共同体で培われてきたムラの宗教儀式です。
ムラは、共同体の運営をスムーズに行えるように時間をかけて、暗黙のしきたりや掟(おきて)を定着させてきました。
なかでもお葬式は、ムラのしきたりを象徴するイベントでした。「村八分」という言葉があります。ムラの掟に従わない異端児を家族もろともムラの相互扶助システムから排除する「みせしめ」の制度です。しかし、残り「二分」は、異端児といえども相互扶助の輪に組み込み、助け合ったと云われています。
その残り二分とは、火事の消火とお葬式でした。
残り二分の火事とお葬式は、「命と魂」に直接関わりがあることです。これよりは仮説ですが、二分を残した理由は、見殺しにしたり、死をぞんざいに扱うと後で祟られるのが怖かったから、二分を残した。それが主な理由ではないかと推察されます。
化けて枕元に出られるのもイヤですが、それより怨念が悪霊と化し、疫病や飢饉、災害などの災厄となって、ムラにふりかかるのを嫌ったのでしょう。
疫病や飢饉、災害は、ムラの存亡にかかわる最も重大なクライシスです。しかも発生してしまえば、人知ではコントロールできません。
しかし、その原因が怨霊と化した死霊の祟りなら、未然に防ぐ手だてはあります。死者を丁重に祀り、鎮魂することで回避できるという信仰です。
その意味では当時の「村八分」は、「八分の罰」で結束を計り、「二分の情」で無用な敵(怨霊)を作らないというムラ人のすぐれた安全保障対策だったとも云えます。
さてムラ人たちは、死霊が怨霊となって戻ってこないよう安全保障対策をお葬式にも注ぎます。
当時では最先端の知識であった伝来の道教や儒教の呪術、古神道の伝承などを総動員して、お葬式のシナリオを書き上げます。
冥土の旅を無事に終えるように旅支度を整え、三途の川を渡りきるように渡し船の船賃六文銭を懐に忍ばせ、布団の上には魔除けの守り刀をおきます。出棺のときには、柩のふたを石で釘打ちし霊を鎮め、愛用のご飯茶碗を投げ割り、この世の未練を断ちます。なかには玄関とは別の出口から出棺させ、行きと帰りの道をたがえたりして、(万が一のために備えて)霊が迷って家に戻れないようにします。
また参列者には、死霊に取り憑かれないように清めの塩をふったり、あの手この手で霊を清め祓い、丁重にあの世へ導きます。
そして「ムラのシナリオ」のクライマックスは、仏教の力で死霊を迷わず成仏させる儀式です。これで晴れて霊は、浄土へ往生することになります。その証しが、死後戒名です。
戒名は本来、2文字です。死後戒名は、戒名2文字の前後に尊称の文字を加えて、生前の功績を讃える日本古来の「贈り名」の形式をとっています。死後戒名には、仏弟子になった証しと功績をあがめ敬う鎮魂の意味が隠されています。
ハッピーエンドの完璧なシナリオです。このシナリオで、どれほど多くのご遺族が故人をおくりだし、こころ救われてきたことでしょう。
しかし、時代とともにこのシナリオの役割も変化していきます。
戦後、ムラの多くの若者たちは、映画「Always 三丁目の夕日」の六子ちゃんのように職を求めて工場地帯や都会へ大移動します。やがてシティボーイ・シティガールとなるにつれ、、ムラとは疎遠になっていきました。
伊丹十三監督は「シティボーイが、ムラの役割を担う」チグハグさを映画『お葬式』(1984年)でコミカルに描かれました。
「ムラのシナリオ」は「お葬式のシナリオ」として、都会に持ちこまれました。しかし、都会には、支え合い助け合ってきたムラ人たちはいません。そのムラ人の代わりとして、葬儀屋や互助会、仕出し屋、霊柩車などさまざまなサービス業界が値札をつけて入れ替わりました。
そして葬儀は次々と商品化され、商品の使用価値として「ムラのシナリオ」が重宝されるようになります。これは(大げさに云えば)「霊性の商品化」〜「物心崇拝」〜「霊性の金銭化」のサイクルをたどります。
ちなみに「白木祭壇」も戦後、普及した新商品です。「ムラのシナリオ」のメインイベントは「野辺送り」でした。白木祭壇は、その行列に使われていた柩を運ぶ神輿を模して開発されたようです。そのサイズの大小により祭壇の値段が決まります。使い回しが利くので全国的なヒット商品になりました。
仏教界も人ごとではありません。戦後、GHQの「農地改革」で食い扶持だった寺社領が没収されます。このため「葬式仏教」を積極的に現金化していきました。
あるお坊さんがうまいことを言ってました。「戒名は極楽浄土行きの片道切符ですな。信士は各駅停車の普通列車、居士は急行列車、院居士はノンストップの特急列車。どれにしますかな」と。まさに地獄どころか、「成仏のさたも金次第」です。
霊の存在を信じない人にとって「ムラのシナリオ」は、瞬く間に存在価値を失います。商品化された「霊性」は、徐々にその力を溶解していきます。
東京都を中心にお葬式をしないで火葬のみの「直葬」がここ3〜4年の間に激増しています。端から見れば「直葬」は、ご遺体を病院から直接に火葬炉に送り込むシステムですから、ただの「遺体処理」でしかありません。
しかし東京の葬儀全体の3〜4割が、この「直葬」ではないかともいわれています。グローバリズム経済による「格差社会」、高齢社会による医療費や介護費の負担増などで経済的弱者は、日々の生活にに窮乏しています。商品化された霊性に金銭を支払う余裕はなく「お葬式」どころではなくなっているのは事実です。平安時代の「餓鬼草紙」に描かれる庶民の風葬(死体放置)が頭をかすめます。
しかし、「直葬」の背景は、経済的な要因ばかりではありません。
「ムラのシナリオ」は、死者を丁重に祀らないと祟られるという霊性を暗黙のうちに共有する共同体がなければ、成り立たちません。
村落共同体の崩壊後に登場した職場共同体も1990年代を境に「株式会社は株主のもの」という資本主義の鉄則が貫かれ、あえなく解体していきました。
「ムラのシナリオ」を支えてきた共同体は、堤防にできた小さな穴が徐々に広がり、一定の臨界に達したとき、いっきに決壊するように瓦解していったのです。そのとき共同体のセーフティネットに守られてきた人々は、はじき飛ばされ、「直葬」というカタチで巷に放り出されたのです。
21世紀の心性は、そうして始まったのです。
経済大国になった日本人が手にしたコインの表には、何でも買える「自由」が銘記されていましたが、裏には「孤立」が刻まれていたようです。
経済の高度成長で手にしたコインには「自由と孤立」が刻まれていました。しかし、次の時代に手にするコインにも同じ文字が刻まれいるとはかぎりません。もしかすると「絆」という文字が刻まれているかもしれません。
というのも、世の中は、表と裏、陰と陽、上げと下げ、両極のバランスを取ろうと時代は揺れ動き、流れのなかで秩序を保とうとするからです。その流れの行き先は、神のみぞ知るです。
また、わたしたちの住む都会は、お金さえあれば、自由で豊かな生活が提供されます。しかし一方で、お金では簡単に解決できないリスクが、わたしたちを待ち受けるようになりました。倒産、リストラ、事故、病気などなど。いまや、リスクに対する準備を考えないことが、最大のリスクといわれる時代に入りました。
そんなとき、2011年3月11日に東日本大震災が発生しました。未曾有の死者と被害を出す大惨事が人々を襲いました。しかし東北の人々は、悲しみを乗り越え、パニックにも陥らず、むしろ被災者どうしが励ましあう、その姿に世界中の人たちが驚嘆し、羨望のまなざしで拍手を送ったのです。
そのころより死語と思われていた「絆」という言葉が見直されてきました。それは互いに助け合う新たなセーフティーネットとしての共同体を模索する、日本人全体の心象風景の現れかもしれません。
いままで見たきたように、家族葬に「ムラのシナリオ」を代用しても失敗するだけです。商品化された「霊性」を持ちこんでも、化けの皮がはがれてきます。行き着く先は、直葬です。
商品化された「霊性」に対してご遺族は、「消費者」として対応します。葬儀屋さんが提案する商品に対して、費用対効果を検討し、A、B、Cプランのいずれかの商品を選ぶようになります。
仮にプランAが「普通のお葬式」、プランBが「家族葬」、プランCが「直葬」だとすれば、プランCの単純割合は、3割3分3厘です。経済状況によれば、もっとも安価な「直葬」に流れていっても不思議ではありません。
ちなみに村落共同体では、ご遺族は「消費者」ではありません。「祭祀者」です。霊性の当事者です。プランはAだけです。すべてはムラの相互扶助システムでまかなわれました。
近代になって自然科学が急激に発達しました。死霊が怨霊と化し、疫病や飢饉などの祟りとなってムラに災厄するという霊性は、非科学的な迷信だと烙印を押され、祟りは葬り去られました。
最近、親殺し、子殺し、児童虐待、老人虐待、DVなど肉親が肉親の血をみる凄惨な事件が吹き出しています。また無差別殺人も流行病の如く、若い世代に伝染しています。
これらの所業は、鬼畜の仕業としか思えません。現代においては、祟りは生霊となって、禍いをまねいているのではないかと思えてしかたありません。
しかしテレビでは、これらの原因を教育や家庭環境、貧困などの社会科学の分野から解を求めようとしています。もちろん、そうした考察は大切なことですが、果たして本当にそれだけで複雑な人間社会を解明できるものでしょうか。
人の心は、本来、弱くて貧しいものです。少しの行き違いで恨み、ねたみ、憤り、人を平気で傷つけます。死しては、恨み晴さんと怨霊となり、化けて出てる。過ちに気づけば深い後悔の念に苛まれ、時が経てば、また過ちをくり返す。それが人間という生き物です。
日本の神々も嫉妬深く、すねやすく、怒りっぽいじゃありませんか。
我が民族の祖神であり太陽神の天照大神でさえ、弟のスサノオの乱暴に怒り心頭、天岩戸に引きこもり、高天原は暗闇の世界に。高天原の住民と八百万の神々は一計を案じ、天岩戸の前で飲めや歌えの大騒ぎ。すると天照大神が「なぜ騒いでおるのじゃ」と問うと「あなた様より貴い神様が、いらっしゃったので喜んでおります」と答える。天照大神は心配になって、じっとしていれず、その神様を見ようと岩戸を少し開けると、待ち構えていた腕自慢の神様に引きずり出され、高天原に明かりが戻ったといいます。
心の弱さは、「生存のための警戒心」が起点となって猜疑心を生み、満たされぬ「こころの渇き」が怨嗟のうなりを発し、呪いの言葉を解き放します。
心が陰に入れば入るほど、呪いの炎は燃え盛り、ついには狂気と化します。狂気は時として、天才的な芸術家を生み、時代を駆け抜けるリーダーを輩出します。しかし、多くは社会に禍いをもたらします。