お坊さんのいない般若心経の家族葬

 「葬儀はしたいが、お坊さんは呼びたくない。」といった要望が最近益々ふえてきました。理由をうかがうと「日ごろお坊さんとの付き合いがない」「前回頼んだお坊さんが気に入らなかった」「家の宗派は何宗かわからないし、こだわらないので」「戒名料やお布施が高くて払えない」など、「葬式仏教」やお坊さんに対する大小の不満が噴出してきます。

 しかし、一方で「お坊さんは必要ないけど線香はあげたい、焼香はしてもらいたい。」という要望も根強いのです。

 そんなご遺族の方には、お坊さんの代わりに皆さんで般若心経を唱えていただく、般若心経の葬儀をおすすめしています。 

般若心経の家族葬の流れ

<通夜式> 40分〜50分  

 

  1. 開式(1分)
  2. 合掌または黙祷(1分)
  3. 葬儀の説明(5分)
  4. 弔辞または喪主挨拶(5分)
  5. 般若心経の説明(5分)
  6. 般若心経の読経(10分)
  7. お焼香(10〜20分)
  8. 閉式 ※別室で通夜食事

<告別式> 50分〜60分  

 

  1. 開式(1分)
  2. 合掌または黙祷(1分)
  3. 葬儀の説明(5分)
  4. 般若心経の読経(10分)
  5. お焼香(10〜20分)
  6. お花入れ(20分)
  7. 喪主挨拶(3分)
  8. 出棺 ※火葬場へ

 


★葬儀の進行・司会は、弊社のスタッフが行いますのでご安心下さい。

 

★「般若心経の読経」は、司会の読経にあわせて、皆さんで読んでいただきます。「般若心経」の教本は弊社でご用意します。

般若心経とは 「宗派をこえて読まれる教典」

 葬儀の時にお坊さんにお経をあげてもらいますが、これは亡くなった方をお釈迦様のお弟子さんとして受け入れてもらうため、お釈迦様の教えやお弟子さんになるための誓いや約束事を説いています。

 しかし、亡くなってしまっては、その教えを聞くことも叶わないわけです。本来、経典は亡くなった人のために書かれたものはないそうです。仏教はどう生きるか、そのための教えですから。

 でも、江戸時代に徳川家康将軍が、庶民の葬儀もお坊さんがやりなさいと命令したため、故人に戒名をつけ、にわか信者として迷うことなく往生するように導いてあげる仏式葬儀が定着したようです。

 そして、数あるお経のなかでも、宗派を超えて(浄土真宗系を除く)供養の時などに一番よく読まれるお経が般若心経です。

大乗仏教のエッセンスをまとめた般若心経

 538年に仏教が日本に紹介されました。その後、聖徳太子さんが日本中に仏教を広めました。このとき紹介された仏教が「大乗仏教(だいじょうぶっきょう)」と呼ばれるものです。

 出家して、厳しい修行をしなければ悟れないとした小乗仏教(出家主義)に対して、在家でも救われる、民衆救済をエネルギーにした在家主義の仏教が大乗仏教です。お釈迦様が亡くなられて500年前後、西暦紀元前後、今から2000年前位に起きた宗教改革といわれています。

 天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗、曹洞宗、臨済宗、日蓮宗などの日本仏教も大乗仏教です。  

 その大乗仏教の大きな特徴が「菩薩」さんによる民衆救済です。民衆のスーパーヒーローでした。その菩薩さんへの道、修行が「般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)」です。

 般若心経では、菩薩さんが般若波羅蜜の修行に入られ、この世の真理を見抜いたとき民衆の苦しみを取り除く神髄を得た、それを教えましょうと始まります。

 そして大乗仏教の神髄、空の思想と苦からの救済の真言を本文262文字にまとめたのが般若心経です。 

大乗仏教とは

 お釈迦様の生きた時代(紀元前500年前後)の死生観は、「輪廻(りんね)」思想が支配していました。何度も生まれかわるんですね。日本人や若い人にとっては良いことのように思われますが、冷静に考えると何度も死ぬわけです。なんども苦しい目に遭うわけです。しかも、人間に生まれかわるとは限らない。生前の行い(業)によっては動物に生まれかわるかも知れないし、地獄に堕ちるかも知れない。

 これではかなわない、輪廻のサイクルから抜け出したい(解脱)とインドの人は考えました。

 また、当時のインド社会では、輪廻転生(サンサーラ)思想をバックボーンとしたバラモン教のカースト制度(奴隷制度)による階級支配がおこなわれていました。上位がバラモン(司祭階級)、次にクシャトリア(王族関係者)、その次にヴァイシャ(商業・平民)、最下層がシュードラ(奴隷階級)です。

 輪廻思想は、自らの行い(業)には自ら責任を取るという倫理思想でしたが、一方で差別思想でもありました。

 クシャトリアやヴァイシャの人々は常々バラモンの支配には不満を抱いていました。しかし、バラモンに抵抗すると地獄に堕ちるという輪廻思想が彼らを縛っていました。輪廻思想からの解放は、同時に階級支配からの解放を意味していました。彼らは、救世主を待ち望んでいたのでした。 

仏教の誕生

 さて、その輪廻の原動力は「業」、因果応報というものです。その「業」の原因を「欲望(煩悩)」と考え、この「欲望」を消せば、「業」は消え、「業」が消えれば「輪廻」に赴くことなく「解脱」するとインドの人は考えました。後は実践のみです。

 解脱を望む人やバラモン教を嫌う人々などは、「欲望」を消すために家・家族・財産などを捨て出家し、人里離れて修行に励みました。

 同じようにお釈迦様も出家し、欲望を抑える無念無想の瞑想や断食に耐える苦行などに励みました。しかし、一時的な効果はあっても完璧に「欲望」を消し去ることはできませんでした。そして、この瞑想や苦行に疑問を感じつつ、同時に今までの「輪廻と解脱のメカニズム」にも決定的な欠陥があることに気づきました。

 その欠陥は、「欲望」の背後に「欲望」を引き起こす原因がさらに隠されていたのを見落としていたことです。そして、その「欲望」を引き起こす原因が、盲目的な生への衝動・生存欲=「渇愛(かつあい)」にあることを発見しました。盲目的であるために自覚できなかったので「無明(むみょう/根本的な無知)」ともいいます。

 さらに、この生への衝動・生存欲=「渇愛」を完全に消し去るには、思考停止の瞑想や苦行ではなく、完璧な輪廻のメカニズムと解脱の方法論を解明する完全なる「智慧」を獲得する以外にないと直感します。

 そこでお釈迦様は、輪廻にまつわるすべての因果関係の鎖を縁起法に基づき洗い直し、徹底的に論理的に再考しました。そして、完璧な輪廻のメカニズム(十二因縁)と解脱への方法(四聖諦)を解き明かし、完全なる「智慧」を獲得しました。

 このときお釈迦様は「ブッダ(目覚めた人)」になられ、解脱に到達しました。解脱の境地を「涅槃(ねはん)」といいます。

 当初の目的の再生もしない・再死もしない「解脱」に到達したのですから、涅槃のまま静かに最期を迎えることも出来ましたが、再三にわたる要請(梵天勧請)によって、恐らく救世主を求めていたクシャトリアやヴァイシャ階級の人々の懇願で「解脱」の方法を説き始めることになりました。つまり「ブッダになる方法」「輪廻的生存からの解放」です。ここから仏教がはじまります。

 しかし、救世主といっても何か特別な神がいるわけでもない、奇蹟が起きるわけでもない、超能力を使うわけでもない、が人はブッダになれる。それは、ゴータマ・ブッダが説く真理(法)の言葉によります。

大乗仏教の誕生

 ブッダになられたお釈迦様は、ブッダになる修行方法を「戒・定・慧(かい・じょう・え)」の三学にまとめられました。しかし、出家をともなう厳しい修行が前提でした。これでは在家信者はブッダになることはできません。

 しかも、お釈迦様が亡くなった100年後、仏教教団(サンガ)は分裂をくり返し、民衆の心は離れていきました。

 一方で仏教に勢力を削がれていたバラモン教は、カースト制度を維持しながら、インドの土着信仰や習俗の神々を取り込み大衆的な民俗宗教「ヒンズー教」として勢力を拡大していました。

 クシャトリアやヴァイシャの階級の人々は危機感を募らせ、出家主義の教団に見切りを付け、在家主義を旗印に新たな仏教改革を目指すことになります。

 彼らは在家信者に呼びかけました。「ブッダになるよう誓いを立て、街に出よ、大衆の中で実践せよ、大衆を救済せよ」と、「この菩薩行(六波羅蜜)に徹底すれば、民衆を救済する無限の力(慈悲)でブッダになれる」と。実に画期的な修行方法をあみだしました。

  確かに一心不乱に民衆の救済に徹すれば、無明も煩悩も忘れてしまうかも知れません。ぜひ日本のお坊さん達にも見習って欲しいものです。

 菩薩行のなかでも「般若波羅蜜」の修行は脚光をあびました。「般若(はんにゃ)」は「智慧」という意味のようです。「波羅蜜(はらみつ)」は「完成」という意味が定説ですが、単なる「完成」ではなく、骨の髄まで染みこませるほど修練を重ねて、徹底し守り抜くという意味合いがあるようです。ここでは、完全なる「智慧」を獲得し、それを実現するよう誓いをたて、真実として完成させる修行が「般若波羅蜜」としておきましょう。般若心経のメインテーマです。 

般若心経の核心

 般若心経は明かします。菩薩となった者は、何ものにも拘らない、捕われない「空」の智慧を骨の髄まで染みこませるという誓いの言葉を立て、菩薩行に徹することで、自我を滅し、「空」と限りなく近づき、あらゆる執着から解き放たれ、究極の涅槃に入ることができたのだと。

 さて、この「空」観により、ブッダが明らかにした「無明・渇愛」からはじまる輪廻にまつわる因果関係の鎖(十二因縁)と解脱の方法(四聖諦)を修得する戒・定・慧の修行やその方法で到達しようとした「解脱」そのものも執着と見なされ「空(くう)」の彼方へ消えていきます。大どんでん返しです。お釈迦様もビックリです。

 戒・定・慧の厳しい修行に励み、出家主義を唱える高僧に対して、「それが執着だとは思わんかね」と揶揄する強烈な一撃音が聞こえてきます。ブッダになる誓いをたて、自我を滅し、民衆を救済する実践を通して、誓いを実現するという新たな修行法=菩薩行(波羅蜜多)をここに完成させます。在家主義の高らかな勝利宣言です。

  いよいよ般若心経は、核心に迫ります。

 つまり「この般若波羅蜜多(の誓いの言葉)は、大いなる力を持つ言葉であり、完全無欠の智慧であり、完全無敵の言葉であり、完全に一切の苦を取り除く(民衆を救済する)ものである」と宣言します。

 そして「本当に実現できるの」とか「信じて良いのか」といった批判、疑問、期待は当然あったでしょうが、これに対して威風堂々、「真実なり」と断言するのです。大乗仏教黎明期の熱気が伝わってきます。

 大乗仏教の経典はどれも作者不明です。大乗仏教の経典は、在家という民衆の革命的な運動の中から生まれてきたのもです。理論と実践、実践と理論の繰り返しの中から鍛えられ、磨かれた書であり、宣言であり、言葉なのです。

 実践に鍛えられた言葉(理論)は、人の心を打ち、人を実践(実現)へと駆り立てるといいます。菩薩行に挑もうとした在家信者たちは、それぞれに誓いをたて、その誓いの言葉を念じ、あるいは唱えて菩薩行に邁進したのではないでしょうか。

 そのとき誓いの言葉は、真実の言葉。力のある言葉、願いを叶える言葉となったのでしょう。ロゴスは世界を創るのです。インドの人は、言葉の持つこのような不思議な力を「マントラ」と呼びます。仏教用語で「真言」「陀羅尼」といいます。 大乗仏教では経典も同じように力のあるものとして、経典を読んだり、唱えたりすることで効力があると言われています。 

 般若心経の「羯諦 羯諦・・」ではじまる最後のフレーズもこのマントラ(真言)で閉められています。般若波羅蜜多の効力を秘めた呪文のようです。しかし、この般若心経が書かれた時代が、在家主義を唱える民衆運動の渦中であり、同時に大衆化を進めるヒンズー教との闘いを余儀なくされる背景を考慮すれば、般若波羅蜜多(菩薩行)への賛同と参加を呼びかけるスローガンであり、誓いの言葉だったようにも思われます。

 「悟りの道を歩もう、共に菩薩の道を歩もう、菩薩となって民衆を救おう。ブッダと共に!」と。  

  般若心経は、混迷する宗教界(社会)に一筋の道を照らす松明(たいまつ)だったのかも知れません。 

家族葬儀にこそ般若心経を

 般若心経を葬儀や供養で唱える理由は、般若心経に一切の苦厄を除く力があるので、冥土の旅の最中に様々な悪霊に惑わされないためという説や、死者はもはやお経を読んで功徳を積むことができないので遺族が代わりに読んで功徳を積み、少しでもいい世界へ転生してもらうためという説など様々です。

 しかし、般若心経は、誓いの言葉、願いを叶える言葉、一切の執着を取り払い、一切の苦を取り除く真言です。般若心経は、あなたの大切な故人のご冥福を祈り、少しでも良い世界へ転生してもらいたいとう願いを叶える真言です。

 本来の仏教では、死後、長くても四十九日の間に次の世界に輪廻転生するといわれています。四十九日の法要がタイムリミットです。一周忌や三回忌では遅いのです。般若心経は、通夜や葬儀のときにこそ、心ある人たちといっしょに唱えるのが効果的なのです。

 また、在家主義を高らかに宣言する「般若心経」は、お坊さんがいなくても充分に故人を供養できる経典です。むしろ、お坊さんがいようが、いなかろうが、あなたの誓いや願いをとどけるのが般若心経ですから、あなたとご家族、ご親族のみなさんが唱えなければ意味はないのです。

 この般若心経で、大切な故人を送る「般若心経の葬儀」をあらためて、ご提案申し上げます。

般若心経の本文と和訳

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。

 

 

舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識。亦復如是。舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。

 

 

 

 是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界乃至無意識界。無無明亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得。 

 

 

 

 以無所得故。菩提薩垂。依般若波羅蜜多故。心無圭礙。無圭礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。 

三世諸仏。依般若波羅蜜多。故得阿耨多羅三藐三菩提。 

 

 

 



故知般若波羅蜜多。是大神呪。是大明呪。是無上呪。是無等等呪。能除一切苦真実不虚。 

故説般若波羅蜜多呪。即説呪日。 

 

 

 

 

 

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経

 

 

 訓読 「般若心経」

 観自在菩薩は、深般若波羅密多を行ずるとき、五藍はみな空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり。

 

 舎利子よ、色は空に異ならず、空は色に異ならず。色はすなわちこれ空なり、空はすなわちこれ色なり、受想行識もまたかくのごとし。舎利子よ、この諸法は空を相として、生ぜず滅せず、垢つかず浄らかず、増さず減らず。

 

 この故に空という中には、色もなく、受想行識もない。眼耳鼻舌身意もなく、色声香味触法もなく、眼界もなく、ないし意識界もなく、無明もなく、また無明の尽きることもなく、ないし老死もなく、また老死の尽ることもなく、苦集滅道もない。智もなく、また得も無い。

 

 得なきをもっての故に、菩提薩垂は、般若波羅蜜多に依るが故に、心に罫疑(けいげ)無し、罫疑無きが故に、恐怖(くふ)あることなく、一切の顛倒夢想を遠離(おんり)して、涅槃を究境(くぎょう)す。

  三世の諸仏も、般若波羅蜜多に依るが故に、阿辱多羅三藐三菩提を得たまへり。

 

 故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ大神咒(たいじんじゅ)なり、これ大明咒(だいみょうしゅ)なり、これ無上咒(むじょうしゅ)なり、これ無等等咒(むどうとう しゅ)なり、よく一切の苦を除いて、真実なり、虚ならず故に。

 般若波羅蜜多の咒(じゅ)を説く、即ち咒を説いていわく

 

羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい)

波羅羯諦(はらぎゃてい)

波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい)

菩提薩婆訶(ぼうじそわか)

般若心経(はんにゃしんぎょう)


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