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わたしたち家族葬をすすめる会は、このサイトを通して、マニュアル化された現代の葬式を批判してきました。同時に家族や家族の絆をもう一度問い直し、故人と家族のための葬儀「家族葬」を提案してきました。
しかし、マニュアル化された葬式を無分別に受け入れる背景には、宗教心や信仰心、あるいは死生観を正面からとらえてこなかった日本人の生き方の問題にぶつかります。
宗教によって死生観はちがう
サイトの「死界」では、宗教による死後の世界観の違いを浮き彫りしています。
釈迦仏教は、死もふくめて「空」です。死後の霊の存在を認めていません。輪廻転生の思想を持ってしても、死後は他の何ものかに転生しているのですから、霊の存在はありません。遺体に未練はありません。よってお墓の必要もないはずです。
儒教は、死後の世界を魂(コン)と魄(ハク)にわけています。魂は霊で、魄は肉体・骨です。霊・肉二元論です。少なくとも骨がなければ、霊が戻るところがありません。お墓も必要でしょう。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は同じ神様ですから、死後も復活説は同じです。霊と肉体の二元論ですから、信者の霊は神の国へ、最後の審判で復活するためには肉体が必要ですから、土葬で埋葬します。お墓は必要です。
日本の民族宗教の神道は、死後は霊だけの一元論です。遺体は穢れの対象です。遺体よりも霊の方が重要です。靖国神社には、遺体は埋葬されていません。霊を鎮魂しているのです。
宗教によって、これだけ死後の世界観や死生観が違います。埋葬方法も葬儀礼儀もそれぞれの宗教観によってちがってくるはずです。
死んだらお墓というのは、ストレートには儒教とキリスト教、ユダヤ教、イスラム教ということになります。
現代葬儀は霊感商法か?
ところが、日本の現代の葬式は、仏式でもいろいろな宗教、考えがミックスされていますので、故人も霊も遺族もてんやわんやです。そこで登場するのが、形式化されたマニュアル葬儀です。
マニュアル化は、そのマニュアルを熟知したものが主導権をにぎります。
「立派な祭壇にしますか、普通の祭壇にしますか、それとも安い祭壇にしますか」と葬儀社に聞かれれば、遺族としては「立派なもので」あるいは中をとって「世間並みに」とつい答えてしまいます。
しかし、これでは、「ご先祖さまの霊が苦しんでいます。浄霊が必要です」との論法で、壺を買わされたり、高額な仏壇やお布施を要求される霊感商法と現代のマニュアル葬儀とどう違うのか、疑問を抱かざるを得ません。
現代葬儀に一石を投じる「家族葬」
葬儀という人生の最終ステージのあり方を正面から考えることは、死について、家族について、人生について、宗教・信仰について、そしてこの日本のあり方について考えることです。
わたしたち家族葬をすすめる会は、現代のマニュアル化された葬式に一石を投じるために「家族葬」という具体的な提案をしながら、葬儀について、信仰について、生き方についてみなさんと幅広い意見交換をしていきたいと願っています。
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