人類が日本列島で発生していない以上、日本人のルーツは大陸のどこからか列島にやってきた人々です。
 氷河期以降、海に囲まれた日本へ日本人のルーツは、日本海や太平洋を渡ってきました。そのためには、それなりの航海能力をそなえた海洋民であることが一つの条件になります。
 いまから1万3000年?2300年前ころまで、およそ1万年近くの長い間、縄文人の時代がつづきます。縄文時代が終わるころ、大陸から縄文人とはちがう弥生人たちが、海を渡って日本列島に渡来してきます。この渡来人たちと、先住民である縄文系の人たちが混じりあい、今のわたしたちにつながる"日本人"が誕生したと考えられています。
 その渡来ルートは、(1)朝鮮半島経由 (2)中国長江下流域から北九州 (3)中国?台湾?沖縄?南九州の3つが有名です。
 そして、この日本人の原初的な葬送方法に「舟葬」がみられます。舟葬は、葦舟などをつくって、遺骸をのせて流すという葬送です。この舟葬は、各地にみられたようで4?6世紀の古墳時代にその痕跡がみられます。
死後、人は海上へ旅たつ ……… 潜塚古墳
 福岡県大牟田市(県の南端、有明海に臨む):潜塚古墳(5C)では、舟の形をした石棺に遺体を安置したり(高塚舟形石棺)、古墳の内部の壁画に大型船を描いたり(萩ノ尾古墳)しています。有明海沿岸の住人たち(大牟田・高田に住んでいた古代人たち)は、死後、人は海上へと旅立つと考えていたようです。
舟棺に遺骨が …………………… 大寺山洞穴遺跡
 千葉県館山市沼の海蝕洞穴の地中から、古墳時代後期(5C前半から6C)のものとみられる、棺に使った杉材の舟が10基出土しました。舟は、幅1m。長さ、4m。木棺として使用されたらしく、舟棺の一つには人骨三体が入っていました。
天翔る霊舟 ……………………… 弁慶ガ穴古墳
 福岡県筑紫野市「五郎山古墳(6世紀後半)」、熊本県山鹿市「弁慶ガ穴古墳(6世紀後半)」では、満天の星空を旅する天翔る霊舟が描かれています。舟上には、被葬者を納めた棺が乗っています。
他界へ霊魂をいざなう乗り物 … 宝塚古墳
 2000年4月には、国内最大の船形埴輪が三重県松坂市の宝塚1号墳(5世紀初頭の前方後円墳)から出土して大きく報道されました。この発見で、船は古代人にとって遙かな他界へ霊魂をいざなう乗り物であり、船は遠い他界にたどりつくための手段であると観念されていました。いわゆる「舟葬」観念が古代には連綿と続いていたことが実証されたわけです。
舟形木棺 ………………………… 七廻り鏡塚古墳など
 舟形木棺(ふながたもっかん)は、内陸の各地の古墳からでも発掘されています。岐阜県下都賀郡大平町の七廻り鏡塚古墳。福島県河沼郡会津坂下町川西地区森北1号墳。神奈川県平塚市塚越古墳など。
中国四川省から約2500年前の巨大な舟形木棺
 2000年には前述の渡来人ルートの「中国長江下流域から北九州」の長江(揚子江)上流、中国四川省成都市から過去に発見例のない巨大な舟形・丸太彫り木棺群が見つかりました。約2500年前の春秋時代晩期から戦国時代早期のものです。
 墓跡から最長18.8メートルの4つの巨大な舟形木棺や丸太彫り木棺などが計17個見つかりました。当初は30を超す木棺があったと推定されています。舟形木棺は四川省の巴蜀文化の特徴ですが、木棺がこれほど巨大で、規模の大きい墓跡の発見は初めて。
 すでに成都市付近では古代都市だった三星堆遺跡が発見されていますが、世界の4大文明に数えられる黄河文明とは異なる"長江文明"が、中国の異民族により独自に形成されていた可能性がいよいよ現実味を帯びてきたと日本の学者も感心をよせています。
舟葬で結ばれる太平洋沿岸地帯・長江アジアンルート
 舟葬の歴史をたどれば、日本の太平洋沿岸部、九州、中国長江流域から四川省までの古代ルートにつながります。この「舟葬アジアンルート」は、古代文化のアジアンルートであり、日本人の起源をたどるルートでもあります。
 現代における舟葬の再現は、この「舟葬アジアンルート」の発見により、人の死は、舟葬の死生観を通して日本人の祖先をたどる古代ロマンの旅たちへと昇華されていきます。
 そして今後、多くの文化人、研究者などの協力を募り、この「舟葬アジアンルート」の発掘・研究をすすめることで、日本とアジアを結ぶ文化事業として発展する可能性を秘めています。