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1990年にライシャワー元駐日大使が「日米のかけ橋になりたい」という遺言で、遺灰が太平洋にまかれました。これを契機に散骨の気運が高まり、1991年に「葬送の自由をすすめる会」が、「死んだらお墓」という葬風を否定し、神奈川県相模灘ではじめて「散骨」という形の自然葬をおこないました。
それから10年がたち、「葬送の自由をすすめる会」の会員は8000人をこえ、この間、実施した自然葬は368回、669人にのぼります。(2000年1月末) |
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「葬送の自由をすすめる会」の散骨の思想的背景は、死と葬の「自己決定権」の主張です。
私たちの死と葬のアプローチは「死生観と葬の統一」です。
近年、多くの古墳から「舟葬」の死生観を裏付ける舟形埴輪、舟形木棺、舟形石棺、霊船の絵などが発見されました。古代日本では「人は死んだら、魂は舟にのって天国へいく」という死生観にそって、実際に遺体を舟にのせて大海に流す葬風がおこなわれていました。私たち日本人の祖先は、舟葬をとおして、故人の冥福を祈っていたようです。 |
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そして、ごく最近、長江(揚子江)上流の四川省成都で巨大な舟形木棺が発見されました。謎の巨大文明「三星堆」の裏付けになる発見であるとともに時空を超えて「舟葬」の死生観が日本からアジアへつながっていきます。私たちはこの時空を超えた舟葬のルートを「舟葬アジアンルート」と名付けました。
私たちは、壮大なロマンを秘めたこの「舟葬」を海洋散骨の葬送として現代によみがえらせたいと願っています。「海洋舟葬」は、天国へ、古代ロマンへと旅立つ儀式です。 |
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