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サディズムの名を広める。背徳の罪による逮捕、逃亡を繰り返し、38歳で牢獄に収容されるが50歳の時にフランス革命のおかげで釈放される。「ジュスティ−ヌ」その他の作品で流行作家になるが、反革命の罪でまた逮捕され、釈放される。そして61歳で作品がわいせつ書として逮捕された時、シャラントン精神病院に入り死亡する。生涯のうち30年間は牢獄生活であった。怪物的に肥満した彼は1806年に遺書を書いた。「私の遺体は絶対に人に見せてはならぬ。」「遺体は木の棺に入れ、ふたに釘を打たず、私が死んだ部屋に48時間安置して・・・」「遺体は・・・にある私の所有地の森に運んでもらいたい・・・その林の中に、儀式は一切とり行わずに埋葬してほしい。墓に土をかぶせたなら、その上に樫の実をまき、・・・墓の上に雑木林が生い茂り、地上から私の痕跡が消え去ることを願う。あらゆる世人の記憶から私の名が末梢されることを望む」そして8年後に死んだ。その名を恥じる家族はその墓に名を彫らず、また墓地の整理で発掘された頭蓋骨も行方しれずである。
(人間臨終図巻/徳間文庫より抜粋 ブリタニカ国際大百科事典参照) |
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