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般若心経の葬儀


お坊さんのいない般若心経の葬儀

 「葬儀はしたいが、お坊さんは呼びたくない。」といった要望が最近益々ふえてきました。理由をうかがうと「日ごろお坊さんとの付き合いがない」「前回頼んだお坊さんが気に入らなかった」「家の宗派は何宗かわからないし、こだわらないので」「戒名料やお布施が高くて払えない」など、「葬式仏教」やお坊さんに対する大小の不満が噴出してきます。
 しかし、一方で「お坊さんは必要ないけど線香はあげたい、焼香はしてもらいたい。」という要望も根強いのです。
 そんなご遺族の方には、お坊さんの代わりに皆さんで般若心経を唱えていただく、般若心経の葬儀をおすすめしています。

(1)般若心経とは

 葬儀の流れの前に肝心の般若心経、正式名称は「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」について簡単に説明しておきます。  

●宗派を超えて読まれる般若心経
 葬儀の時にお坊さんにお経をあげてもらいますが、これは亡くなった方をお釈迦様のお弟子さんとして受け入れてもらうため、お釈迦様の教えやお弟子さんになるための誓いや約束事を説いています。
 しかし、亡くなってしまっては、その教えを聞くことも叶わないわけです。本来、経典は亡くなった人のために書かれたものはないそうです。仏教はどう生きるか、そのための教えですから。
 でも、江戸時代に徳川家康将軍が、庶民の葬儀もお坊さんがやりなさいと命令したため、故人に戒名をつけ、にわか信者として迷うことなく往生するように導いてあげる仏式葬儀が定着したようです。
 そして、数あるお経のなかでも、宗派を超えて(浄土真宗系を除く)供養の時などに一番よく読まれるお経が般若心経です。

●大乗仏教のエッセンスをまとめた般若心経
 538年に仏教が日本に紹介されました。その後、聖徳太子さんが日本中に仏教を広めました。このとき紹介された仏教が「大乗仏教(だいじょうぶっきょう)」と呼ばれるものです。
 出家して、厳しい修行をしなければ悟れないとした小乗仏教(出家主義)に対して、在家でも救われる、民衆救済をエネルギーにした在家主義の仏教が大乗仏教です。お釈迦様が亡くなられて500年前後、西暦紀元前後、今から2000年前位に起きた宗教改革といわれています。
 天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗、曹洞宗、臨済宗、日蓮宗などの日本仏教も大乗仏教です。  
 その大乗仏教の大きな特徴が「菩薩」さんによる民衆救済です。民衆のスーパーヒーローでした。その菩薩さんへの道、修行が「般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)」です。
 般若心経では、菩薩さんが般若波羅蜜の修行に入られ、この世の真理を見抜いたとき民衆の苦しみを取り除く神髄を得た、それを教えましょうと始まります。
 そして大乗仏教の神髄、空の思想と苦からの救済の真言を本文262文字にまとめたのが般若心経です。

(2)なぜ般若心経を唱えるのか

●輪廻転生
 お釈迦様の生きた時代(紀元前500年前後)の死生観は、「輪廻(りんね)」思想が支配していました。何度も生まれかわるんですね。日本人や若い人にとっては良いことのように思われますが、冷静に考えると何度も死ぬわけです。なんども苦しい目に遭うわけです。しかも、人間に生まれかわるとは限らない。生前の行い(業)によっては動物に生まれかわるかも知れないし、地獄に堕ちるかも知れない。
 これではかなわない、輪廻のサイクルから抜け出したい(解脱)とインドの人は考えました。
 また、当時のインド社会では、輪廻転生(サンサーラ)思想をバックボーンとしたバラモン教のカースト制度(奴隷制度)による階級支配がおこなわれていました。上位がバラモン(司祭階級)、次にクシャトリア(王族関係者)、その次にヴァイシャ(商業・平民)、最下層がシュードラ(奴隷階級)です。
 輪廻思想は、自らの行い(業)には自ら責任を取るという倫理思想でしたが、一方で差別思想でもありました。
 クシャトリアやヴァイシャの人々は常々バラモンの支配には不満を抱いていました。しかし、バラモンに抵抗すると地獄に堕ちるという輪廻思想が彼らを縛っていました。輪廻思想からの解放は、同時に階級支配からの解放を意味していました。彼らは、救世主を待ち望んでいたのでした。

●はじめにロゴスありき
 さて、その輪廻の原動力は「」、因果応報というものです。その「業」の原因を「欲望(煩悩)」と考え、この「欲望」を消せば、「業」は消え、「業」が消えれば「輪廻」に赴くことなく「解脱」するとインドの人は考えました。後は実践のみです。
 解脱を望む人やバラモン教を嫌う人々などは、「欲望」を消すために家・家族・財産などを捨て出家し、人里離れて修行に励みました。
 同じようにお釈迦様も出家し、欲望を抑える無念無想の瞑想や断食に耐える苦行などに励みました。しかし、一時的な効果はあっても完璧に「欲望」を消し去ることはできませんでした。そして、この瞑想や苦行に疑問を感じつつ、同時に今までの「輪廻と解脱のメカニズム」にも決定的な欠陥があることに気づきました。
 その欠陥は、「欲望」の背後に「欲望」を引き起こす原因がさらに隠されていたのを見落としていたことです。そして、その「欲望」を引き起こす原因が、盲目的な生への衝動・生存欲=「渇愛(かつあい)」にあることを発見しました。盲目的であるために自覚できなかったので「無明(むみょう/根本的な無知)」ともいいます。
 さらに、この生への衝動・生存欲=「渇愛」を完全に消し去るには、思考停止の瞑想や苦行ではなく、完璧な輪廻のメカニズムと解脱の方法論を解明する完全なる「智慧」を獲得する以外にないと直感します。

 そこでお釈迦様は、輪廻にまつわるすべての因果関係の鎖を縁起法に基づき洗い直し、徹底的に論理的に再考しました。そして、完璧な輪廻のメカニズム(十二因縁)と解脱への方法(四聖諦)を解き明かし、完全なる「智慧」を獲得しました。
 このときお釈迦様は「ブッダ(目覚めた人)」になられ、解脱に到達しました。解脱の境地を「涅槃(ねはん)」といいます。
 当初の目的の再生もしない・再死もしない「解脱」に到達したのですから、涅槃のまま静かに最期を迎えることも出来ましたが、再三にわたる要請(梵天勧請)によって、恐らく救世主を求めていたクシャトリアやヴァイシャ階級の人々の懇願で「解脱」の方法を説き始めることになりました。つまり「ブッダになる方法」「輪廻的生存からの解放」です。ここから仏教がはじまります。
 しかし、救世主といっても何か特別な神がいるわけでもない、奇蹟が起きるわけでもない、超能力を使うわけでもない、が人はブッダになれる。それは、ゴータマ・ブッダが説く真理(法)の言葉によります。仏教の特質は、はじめにロゴス(言葉)ありきです。

●画期的な修行法「般若波羅蜜」

 ブッダになられたお釈迦様は、ブッダになる修行方法を「戒・定・慧(かい・じょう・え)」の三学にまとめられました。しかし、出家をともなう厳しい修行が前提でした。これでは在家信者はブッダになることはできません。
 しかも、お釈迦様が亡くなった100年後、仏教教団(サンガ)は分裂をくり返し、民衆の心は離れていきました。
 一方で仏教に勢力を削がれていたバラモン教は、カースト制度を維持しながら、インドの土着信仰や習俗の神々を取り込み大衆的な民俗宗教「ヒンズー教」として勢力を拡大していました。
 クシャトリアやヴァイシャの階級の人々は危機感を募らせ、出家主義の教団に見切りを付け、在家主義を旗印に新たな仏教改革を目指すことになります。
 彼らは在家信者に呼びかけました。「ブッダになるよう誓いを立て、街に出よ、大衆の中で実践せよ、大衆を救済せよ」と、「この菩薩行(六波羅蜜)に徹底すれば、民衆を救済する無限の力(慈悲)でブッダになれる」と。実に画期的な修行方法をあみだしました。
  確かに一心不乱に民衆の救済に徹すれば、無明も煩悩も忘れてしまうかも知れません。ぜひ日本のお坊さん達にも見習って欲しいものです。
 菩薩行のなかでも「般若波羅蜜」の修行は脚光をあびました。「般若(はんにゃ)」は「智慧」という意味のようです。「波羅蜜(はらみつ)」は「完成」という意味が定説ですが、単なる「完成」ではなく、骨の髄まで染みこませるほど修練を重ねて、徹底し守り抜くという意味合いがあるようです。ここでは、完全なる「智慧」を獲得し、それを実現するよう誓いをたて、真実として完成させる修行が「般若波羅蜜」としておきましょう。般若心経のメインテーマです。

●「空」とは何か
 大乗仏教では、その「般若(智慧)」に「空」の思想を取り込みます。
 ブッダとなったお釈迦様が最初に教えを説いた「初転法輪」の最後に、人格的個体を構成する「五蘊(身体と心の集まり)」は、いずれも輪廻の主体である自己ではない(五蘊非我/ごうんひが)。五蘊は無常である。それを常住不変の自己と錯覚し、執着するから苦が生じるのだ(諸行無常)。五蘊への執着を断ち切れば解脱へと至るのだとブッダは説かれます。
 この五蘊は、知覚過程を正確に言い当てています。つまり色蘊で反射した光線を網膜で受(受蘊)け、感受した情報をどんな色、どんな形と識別(想蘊)し、記憶と照らし合わせて(行蘊)、例えば、それが「机」だと名称づけ判断(識蘊)し知覚します。これらの知覚過程の根拠が自己意識とされます。
 さて般若心経では、「五蘊非我」ではなく「五蘊皆空(ごうんかいくう)」と見なします。この「五蘊皆空」の解釈をめぐっても、般若心経のさまざな解説書が出版されることになります。仏教界では「五蘊(身心)は実体がない」と読むのが定説のようです。
 しかし、この定説では、どうもしっくりこない。かといって口を挟むほどの学識はない。鵜呑みするほど悟りはない。俗人としては、「これあれば、かれあり」「これなければ、かれなし」のブッダの縁起法で考えて見ることにします。「五蘊は、実体がない」を縁起法で置き換えて「実体(空)なければ、五蘊あり」では「空」と「五蘊」の関係は成立しなく、「五蘊」が自立します。
 むしろ「空あれば、五蘊あり」「空なければ、五蘊なし」と推論すれば、「空」は「五蘊」の因(原因)になる。だから「色不異空(身体は空と異ならず)」「空不異色(空は身体とは異ならず)」さらに「色即是空(身体はただちに空である)」「空即是色(空はただちに身体として現れる)」となる。
 つまり「空」は「五蘊」の実体であり、因であり、自性となる。「五蘊皆空」は「身心は空の表象(果)である」と読み替えた方が良さそうです。ならば「空」とは何か。先を読み進みましょう。
 まず、「空」と「五蘊」のこのような関係(あり方)は、恒常不変である(是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減)。そして「空」の本体には、五蘊(身心)もなければ、知覚する感官もその対象もなく、眼からはじまり意識にいたる認識の要素もない。無明も老死もなければ、それが尽きることもない。よって解脱の方法(四聖諦)もないし、そのための智慧もなければ、得ることもない。般若心経は規定します。
 これらを整理すると、「空」は「五蘊」の因であり、「五蘊」は果である。この関係は不変だが、「空」=「五蘊」ではなく、五蘊にまつわる輪廻の因果関係に「空」は縛られない。縛られないから「五蘊」が無(亡)くなっても「空」は無くならない。「空」は生死をくり返さないので無明も老死も無いけれど、生死をくり返す「五蘊」との恒常不変の関係では無明も老死も尽きることはないとなります。
 それでは「空」はいったい何なのだと問われて、仮にヒンズー教的に「我/アートマン」、儒教的に「霊魂」、道教的に「気」、神道的に「霊」などと言語表現したり、概念化してしまえば、「五蘊」のつかさどる認識や判断や心の対象物になり、五蘊が「因」となり空が「果」となる逆転現象になり、空は人間の創造物になってしまう。つまり「空」は認識や意識する対象にはなりえないもの、認識不可能なもの。自我や自己を超えるもの。
 この自我や自己を超えるものを大乗仏教では「無我」といい、禅宗系では「本当の自己」あるいは「真の自己(真人)」などというようです。よって「空」は観じる(悟る)しかないようです。そして「空」を観じる(悟る)には、自我を滅し、限りなく「空」に近づくしかないようです。
 実感がわきませんか?それでは違う角度から見てみましょう。自我意識や自己意識を超えるものに無意識があります。最近の心理学では、フロイトや深層心理学でいう無意識を含めた、またそれ以上の広範な行動・認知・精神科学的な過程を含めた「潜在意識(サブリミナル・マインド)」の研究が進んでいます。
 それらによると本人の自覚をともなう顕在記憶と自覚のない潜在記憶のシステムが異なる神経機構を持っているようです。そして、人の心が顕在的・明証的・自覚的・意識的な過程だけでなく、潜在的・暗黙的。無自覚的・無意識的な過程にも強く依存し、さらに暗黙知がつねに先立ち、明証的な知の基礎になっているそうです(詳しくは参考書籍で)。
 また、潜在的な認知過程は、五蘊が示すような顕在的な認知過程をすっ飛ばして、視覚から意識の表面下をすり抜け直ちに行動に移す経路があるようです。
 つまり「人は自分で思っているほど、自分の心の動きはわかっていない」。この顕在意識と潜在意識の関係が「五蘊」と「空」の関係に似ており、興味深い査証になるかもしれません。
 少なくとも、この潜在意識の存在は「五蘊は自己に非ず(五蘊非我)」を科学的に補い、潜在的・暗黙的。無自覚的・無意識的な過程を「空性」と読み替えるなら、五蘊は「空性」に依存していることになります。残念ながら、潜在意識の証明はできても、いったいそれはどこから来て、人類に何をさせようとしているのか、その存在理由はまだわかりません。これからの研究に期待する他ないようです。
 蛇足ですが、お釈迦様の説かれた「十二因縁」の純観に五蘊に先立ち最初に「無明」を観じられたのは、暗黙知や潜在意識を観じられたのからではないかと思えてくるのですが的はずれでしょうか。
 少し寄り道にそれたようです。空から抜け出し、先を急ぎます。  

●ロゴスは世界を創る
 ついに般若心経は明かします。菩薩となった者は、「空」の智慧を骨の髄まで染みこませるという誓いの言葉を立て、菩薩行に徹することで、自我を滅し、「空」と限りなく近づき、あらゆる執着から解き放たれ、究極の涅槃に入ることができたのだと。
 さて、この「空」観により、ブッダが明らかにした「無明・渇愛」からはじまる輪廻にまつわる因果関係の鎖(十二因縁)と解脱の方法(四聖諦)を修得する戒・定・慧の修行やその方法で到達しようとした「解脱」そのものも執着と見なされ「空(くう)」の彼方へ消えていきます。大どんでん返しです。お釈迦様もビックリです。
 戒・定・慧の厳しい修行に励み、出家主義を唱える高僧に対して、「それが執着だとは思わんかね」と揶揄する強烈な一撃音が聞こえてきます。ブッダになる誓いをたて、自我を滅し、民衆を救済する実践を通して、誓いを実現するという新たな修行法=菩薩行(波羅蜜多)をここに完成させます。在家主義の高らかな勝利宣言です。
  いよいよ般若心経は、核心に迫ります。
 つまり「この般若波羅蜜多(の誓いの言葉)は、大いなる力を持つ言葉であり、完全無欠の智慧であり、完全無敵の言葉であり、完全に一切の苦を取り除く(民衆を救済する)ものである」と宣言します。
 そして「本当に実現できるの」とか「信じて良いのか」といった批判、疑問、期待は当然あったでしょうが、これに対して威風堂々、「真実なり」と断言するのです。大乗仏教黎明期の熱気が伝わってきます。
 大乗仏教の経典はどれも作者不明です。大乗仏教の経典は、在家という民衆の革命的な運動の中から生まれてきたのもです。理論と実践、実践と理論の繰り返しの中から鍛えられ、磨かれた書であり、宣言であり、言葉なのです。
 実践に鍛えられた言葉(理論)は、人の心を打ち、人を実践(実現)へと駆り立てるといいます。菩薩行に挑もうとした在家信者たちは、それぞれに誓いをたて、その誓いの言葉を念じ、あるいは唱えて菩薩行に邁進したのではないでしょうか。
 そのとき誓いの言葉は、真実の言葉。力のある言葉、願いを叶える言葉となったのでしょう。ロゴスは世界を創るのです。インドの人は、言葉の持つこのような不思議な力を「マントラ」と呼びます。仏教用語で「真言」「陀羅尼」といいます。 大乗仏教では経典も同じように力のあるものとして、経典を読んだり、唱えたりすることで効力があると言われています。
 般若心経の「羯諦 羯諦・・」ではじまる最後のフレーズもこのマントラ(真言)で閉められています。般若波羅蜜多の効力を秘めた呪文のようです。しかし、この般若心経が書かれた時代が、在家主義を唱える民衆運動の渦中であり、同時に大衆化を進めるヒンズー教との闘いを余儀なくされる背景を考慮すれば、般若波羅蜜多(菩薩行)への賛同と参加を呼びかけるスローガンであり、誓いの言葉だったようにも思われます。
 「悟りの道を歩もう、共に菩薩の道を歩もう、菩薩となって民衆を救おう。ブッダと共に!」と。  
  般若心経は、混迷する宗教界(社会)に一筋の道を照らす松明(たいまつ)だったのではないでしょうか。

■通夜・葬儀にこそ般若心経を
 般若心経を葬儀や供養で唱える理由は、般若心経に一切の苦厄を除く力があるので、冥土の旅の最中に様々な悪霊に惑わされないためという説や、死者はもはやお経を読んで功徳を積むことができないので遺族が代わりに読んで功徳を積み、少しでもいい世界へ転生してもらうためという説など様々です。
 しかし、般若心経は、誓いの言葉、願いを叶える言葉、一切の執着を取り払い、一切の苦を取り除く真言です。般若心経は、あなたの大切な故人のご冥福を祈り、少しでも良い世界へ転生してもらいたいとう願いを叶える真言です。
 本来の仏教では、死後、長くても四十九日の間に次の世界に輪廻転生するといわれています。四十九日の法要がタイムリミットです。一周忌や三回忌では遅いのです。般若心経は、通夜や葬儀のときにこそ、心ある人たちといっしょに唱えるのが効果的なのです。
 また、在家主義を高らかに宣言する「般若心経」は、お坊さんがいなくても充分に故人を供養できる経典です。むしろ、お坊さんがいようが、いなかろうが、あなたの誓いや願いをとどけるのが般若心経ですから、あなたとご家族、ご親族のみなさんが唱えなければ意味はないのです。
 この般若心経で、大切な故人を送る「般若心経の葬儀」をあらためて、ご提案申し上げます。

 最後になりましたが、最後まで私の稚拙な解説を読んでいただきまして、本当にありがとうございます。
 感謝の意をこめて、あなたに般若心経の実践編をそっと教えます。今何か辛いことがあったら、あなたが一番好きな物を一つ止めてみてください。その分の浮いたお金や時間を他の人のために使ってみて下さい。例えば、煙草をやめるとか、あるいは毎日飲んでいた好きな酒を週三日にするとか誓いを立てて、浮いたお金と時間を他の人のために使ってみて下さい。くじけそうになったら、誓いを唱えた後に下記の真言(マントラ)を唱えてください。
 最低一年間、まずは半年を目標に続けてみてください。

南無般若波羅蜜多(なむ、はんにゃはらみつた)。菩提薩婆詞(ぼーぢーそわか)。

※効果のほどは、心がけ次第でございます。合掌
 なお、宮元啓一先生をはじめ下記の書籍から参考ならびに引用させていただきましたことを申し添えます。
                   家族葬ネット代表 愛甲宰三


 ■参考文献(著者アイウエオ順)

  • 「現代を生きる仏教」秋月龍民著/平凡社
  • 「ブッダ論理学五つの難問」石飛道子著/講談社選書メチエ
  •     
  • 「よくわかる般若心経」岡野守也著/PHP文庫
  •        
  • 「現代語訳般若心経」玄侑宗久著/ちくま新書
  • 「サブリミナル・マインド」下条信輔著/中央新書
  •        
  • 「マインド・タイム」下条信輔訳・ベンジャミン・リベット著/岩波書店
  •        
  • 「葬儀・法事がわかる本」大法輪閣編集部著/大法輪閣
  •       
  • 「入門般若心経の読み方」ひろさちや著/日本実業出版社
  • 「般若心経とは何か」宮元啓一著/春秋社
  • 「ブッダが考えたこと」宮元啓一著/春秋社
  • 「わかる仏教史」宮元啓一著/春秋社 他
  •  
  • 「インド哲学七つの難問」宮元啓一著/講談社選書メチエ
  • 「ブッダのことば」中村元著/岩波書店 他
  •        
  • 「原始仏教」中村元著/NHKブックス 他
 
 

(3)葬儀の流れ

<通夜式> 40分〜50分 

  • 開式(1分)
  • 合掌または黙祷(1分)
  • 葬儀の説明(5分)
  • 弔辞または喪主挨拶(3分)
  • 般若心経の説明(10分)
  • 般若心経の読経(10分)
  • お焼香(10〜20分)
  • 閉式 ※別室で通夜食事

<告別式> 50分〜60分 

  • 開式(1分)
  • 合掌または黙祷(1分)
  • 葬儀の説明(5分)
  • 般若心経の読経(10分)
  • お焼香(10〜20分)
  • お花入れ(20分)
  • 喪主挨拶(3分)
  • 出棺 ※火葬場へ

★葬儀の進行・司会は、弊社のスタッフが行いますのでご安心下さい。

★「般若心経の読経」は、司会の読経にあわせて、皆さんで読んでいただきます。「般若心経」の教本は弊社でご用意します。

★「般若心経の葬儀」の実際の例は下記をクリックしてください。

 ■「般若心経で送る」
 ■「密葬・般若心経で送る2」
 ■「仏式か、無宗教か。」
 ■「今年も般若心経で始った」 

用語解説
 

バラモン教
 古代インドで、バラモン階級を中心として行われた民族宗教。ベーダ聖典を根本として複雑な祭式規定を発達させた。バラモン至上主義、祭祀主義を特徴とする。インドの哲学観念や社会制度の強固な基盤となった。

因果応報(いんがおうほう)
 仏語。現世の善悪の行為が因となり、その報いとして来世の善悪の結果がもたらされること。
 自業自得が原則。他業自得はない。親の因果は子にうつらない。

(ごう)
 サンスクリット語で「カルマ」。行為、行いを意味する。

煩悩(ぼんのう)
 仏語。身心を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用。貪(とん)=欲望をむさぼること・瞋(じん)=怒ること・痴(ち)=無知であること、は根元的な煩悩として三毒という。

ロゴス
 ギリシャ語
[1] 言葉。意味。論理。 [2] 言葉を通して表された理性的活動。言語・思想・理論など。 [3] 宇宙万物の変化流転する間に存在する調和・秩序の根本原理としての理法。 [4] キリスト教では、神の言葉。 

解脱(げだつ)
 苦に満ちた輪廻転生の世界から離れること。あるいは煩悩から離れること。

縁起(えんぎ)
 「これあれば、かれあり。
 これ生ずれば、かれ生ず。
 これなければ、かれなし。
 これ滅すれば、かれ滅す」
というように、さまざまな条件を縁として起こり、そして、その条件を滅すれば、それも滅するという関係をさす。

十二因縁(じゅうにいんねん)
 輪廻にまつわる因果関係のメカニズム。
1)無明に因って行(意思)が生じ
2)行に因って識(判断)が生じる
3)識に因って名色(対象を特定)が生じる
4)名色に因って六処<六入> (眼<視覚器官>、耳<聴覚器官>、鼻<嗅覚器官>、舌<味覚器官>、身<触覚器官>、意<思考器官>)が生じる
5)六入に因って触(接触)が生じ
6)触に因って受(知覚)が生じる
7)受に因って愛(渇愛/衝動的欲望)が生じ
8)愛に因って取(執着)が生じ
9)取に因って有(業による輪廻的生存)が生じる
10)有に因って生(再生)が生じ
11)生に因って老死が生じ
12)老死に因って悲しみと憂慮と悩みが生じる 

四聖諦(ししょうたい)
 「諦」はサンスクリット語で「サティア」で「真実」を意味する。四つの諦は以下の通り
 1)苦諦。この世の一切の物事が苦であるという真実。
 2)集諦。苦には原因があり、つきつめれば生へ衝動的な煩悩「渇愛」が、根本であるという真実。
 3)滅諦。その渇愛を滅すれば、苦を滅することが出来るという真実。
 4)道諦。渇愛を滅する「八正道」という道がある真実。

梵天勧請(ぼんてんかんじょう)
 梵天(古代インドで世界の創造主、宇宙の根源とされたブラフマンを神格化したも)が、このままでは世界に救いがなくなるとして、ゴータマ・ブッダに説法をしてくれと三度も懇願し、ブッダが説法の決意をしたエピソード。

戒・定・慧の三学
1)「戒」学。戒を守り、善行を行い、悪行をやめる。
2)「定」学。精神統一を行い、心が乱れないようにする。
3)「慧」学。戒・定で煩悩に乱されなくなった心で、物事の真相を見て取ること。

初転法輪(しょてんほうりん)
「法」は正しい教え。「輪」は古来インドの武器で、車輪の形をした手裏剣のようなもの。正しい教えは、煩悩という敵を滅ぼすので「法輪」と呼んだ。また教えを説くことを「転法輪」という。ブッダが現在のサールナートの地で五比丘を相手に最初に教えを説かれたことを「初転法輪」という。
 その中味は
 1)苦観(苦楽中道・十二因縁・四聖諦)
 2)無常観
 3)五蘊非我  

五蘊(ごうん)
 「蘊」はサンスクリット語で「スカンダ」、「あつまり、かたまり」を意味する。身心は、5つの固まりが集まったものと仏教ではみる。五蘊は以下の通り。
1)「色」蘊。色かたちの集まり。
2)「受」蘊。感受作用。
3)「想」蘊。識別作用。
4)「行」蘊。記憶力などの作用。
5)「識」蘊。判断作用。

 

 

 

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。

舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識。亦復如是。舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。

是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界乃至無意識界。無無明亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得。 

以無所得故。菩提薩垂。依般若波羅蜜多故。心無圭礙。無圭礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。 
三世諸仏。依般若波羅蜜多。故得阿耨多羅三藐三菩提。 

故知般若波羅蜜多。是大神呪。是大明呪。是無上呪。是無等等呪。能除一切苦真実不虚。 
故説般若波羅蜜多呪。即説呪日。 

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経

 

 
   訓読 「般若心経」

 観自在菩薩は、深般若波羅密多を行ずるとき、五藍はみな空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり。

 舎利子よ、色は空に異ならず、空は色に異ならず。色はすなわちこれ空なり、空はすなわちこれ色なり、受想行識もまたかくのごとし。
 舎利子よ、この諸法は空を相として、生ぜず滅せず、垢つかず浄らかず、増さず減らず。

 この故に空という中には、色もなく、受想行識もない。眼耳鼻舌身意もなく、色声香味触法もなく、眼界もなく、ないし意識界もなく、無明もなく、また無明の尽きることもなく、ないし老死もなく、また老死の尽ることもなく、苦集滅道もない。智もなく、また得も無い。

 得なきをもっての故に、菩提薩垂は、般若波羅蜜多に依るが故に、心に罫疑(けいげ)無し、罫疑無きが故に、恐怖(くふ)あることなく、一切の顛倒夢想を遠離(おんり)して、涅槃を究境(くぎょう)す。

 三世の諸仏も、般若波羅蜜多に依るが故に、阿辱多羅三藐三菩提を得たまへり。

 故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ大神咒(たいじんじゅ)なり、これ大明咒(だいみょうしゅ)なり、これ無上咒(むじょうしゅ)なり、これ無等等咒(むどうとう しゅ)なり、よく一切の苦を除いて、真実なり、虚ならず故に。
 般若波羅蜜多の咒(じゅ)を説く、即ち咒を説いていわく

羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい)
波羅羯諦(はらぎゃてい)
波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい)
菩提薩婆訶(ぼうじそわか)
般若心経(はんにゃしんぎょう)

喪主挨拶
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