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■ もっとも大切な絆
家族葬のもう一つの大きな意味は、誤解をおそれずにいいますと、「家族の絆」をたいせつにするということです。「家族の絆」といいますと、なんだか古くさく感じられます。しかし、もっとも大切な絆です。
■ しっくりこない個人主義
近代文明国家、民主主義の国では「基本的人権」が法体系の基本になっています。人は神のもとでは、みな平等です。基本的人権を人がおかすことはできません。なぜなら人を造りたもうたのは神だからです。神のほかに人権をおかす権利はありません。このようなキリスト教の思想的背景は、民主主義とむすびつき、欧米では個人主義が確立されたといわれています。個人主義は個人の権利と自由が保証され、義務と責任が負わされます。
わたしたち日本人も、自由、平等、人権という生き方とシステムの服を手にいれました。しかし、どうもしっくりこないところがある。着慣れてないからだとう意見もあります。サイズがちがう、イヤ日本人の体型にあわないのではないかという意見もあります。
■ 家族より和を優先
その結論は、有識者にまかせるとして、その一方で、個人と家族という関係の整理がうまくついていないことが問題です。どうも家族という単位がおろそかになっているではないかと懸念されています。
けっして戦前にもどれとか、明治憲法を復活せよとか、そう思っているわけではありません。その時代が家族を大切にしたかというと、必ずしもそうではありません。聖徳太子の時代から「和をもって尊しとなす」という民族性ですから、家族よりも世間の和、近所の和、仕事の和を優先してきたのです。
■ 欧米は家族優先
日本のプロ野球で活躍するアメリカの選手が大事な試合のまえに、奥さんが出産するからといって帰国でもしようなら、日本人はマスコミもふくめて、ゴウゴウたる批判を彼にあびせかけます。しかし、かれは仕事よりも家族のほうが大切なのです。これは特殊な例ではありません。
個人主義の欧米では、最優先ではないかもしれませんが、すくなくとも仕事よりも家族をたいせつにします。和よりも家族なのです。そういう整理が定着しているようです。
丸ごとまねる必要はありません。しかし、人はどう生きるべきかという基本的な問題を考える際に、家族とどうむきあうのかというベクトルをかんがえる必要があるのではないでしょうか。
■ 死をみつめて家族の絆を確認する
家庭崩壊、学級崩壊、そして育児放棄に相談件数が年間10,000件をこえる児童虐待。いま日本はおかしな方向にむかっています。
死とまじめに向きあうことは、自分の生き方を問いなおすことです。また、そういう葬式にしたいものです。
家族葬は、親と子の関係、子供からみた子と親の関係、夫婦の関係、祖父母と孫の関係、そして家族のあり方を考え問いなおし、家族の絆を確認しあう葬儀です。 |
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